美國屋

●日本橋高島屋新館一階・美国屋

住所/東京都中央区日本橋2-5-1
日本橋髙島屋三井ビル1階

電話/03-3271-3928

営業/11~15時(売切終了)

定休/日曜

●最寄駅
東京メトロ東西線・銀座線
日本橋駅 B4出入口すぐ横

●年末年始の営業

年内12/30(月)まで営業
年始1/4(土)から営業

●予約は承っておりません。

●高島屋ではなく、個人店舗です。

●カード不可。お支払は現金のみ。

●駐車場サービスなし。



●本日、12/7(土)入荷のうなぎは愛知産です。今季の鰻は、愛知県一色町、三河淡水さんが手塩にかけて育てた養鰻をメインに使用。美しい矢作川の天然水に育まれた鰻は、味の決め手となる飼料に独自開発した「三河鰻咲」を使用。オキアミ等を配合することで鰻本来の自然な味を引き出すことに成功しました。美國屋では季節を通じ、質の良い鰻を取り揃えるため、愛知産、鹿児島産、宮崎産の鰻を使用しております(産地は毎日、店頭、ウェブサイトに掲示)。(2024/12/7)


●店内に飾ってある絵が上野瑞香作「万年青」に変わりました。白っぽい長めの葉っぱが万年青というそうです。一年中葉っぱが茂っていることから日本のみならず外国でも縁起が良いとされているそうです。ご利益のありそうな絵です(笑)(2024/11/21)


●テイクアウトのご注文
テイクアウトの蒲焼、鰻弁当の電話注文もできます。
03-3271-3928
メニューはコチラ!

●出前迅速!
自転車で7〜8分圏内なら可能です。お気軽にお電話どうぞ。
03-3271-3928
メニューはコチラ!



串うち3年、割き8年、焼きは一生!

店頭で配布している小冊子『うなぎ蒲焼 美國屋』に連載しているコラムをPC上でも読めるように転載してみました。美國屋にまつわるよもやま話をつらつらと書き綴っております。ご意見・ご感想などありましたら、ぜひお聞かせください!

カニマスの話 (第48号/2021年3月) )

前回、ザリガニ釣りの話を書いた所、「カニの話も書いて欲しい」とリクエストを頂いたので、お応えしたいと思います。さて、岩場のある海岸に行くと必ずカニとフナムシと猫ちゃんがいるものです。うちの子供は大喜びでフナムシを捕まえます。するとどこからともなく大量のカニが入ったプラケースを持った少年が現れて「ここでカニがいっぱいとれるよ!」とカニ釣りのポイントを教えてくれます。このカニマスター(略してカニマス)の称号を与えられた少年(大抵、坊主頭が5センチくらい伸びたヘアスタイルの少年です)はどの海岸にも間違いなく現れますので、その声に従えば、容易にカニが捕れます。これであなたもカニマスです。幻の魚、クニマスじゃないですよ。カニマスです。

グローバルな話 (第47号/2020年10月) )

先日、子供達を連れてザリガニ釣りに出かけました。多摩川近くにある公園の池です。スルメのついた糸を池に垂らすと、四方から何かがダッシュで泳いで来ます。カメさんです。カメってとっても速いの。そう。とってもスピーディー。ピラニアみたいにスルメに群がるさまを見てビビる子供たち。恐る恐るスルメにかじりつくカメを釣り上げようとすると、池にボチャン!カメってとっても重たいの。そう。とってもへヴィー。つまりスピーディーでへヴィーなとっても外来種のカメなの。近くに流れる多摩川は、タマゾン川なんて呼ばれるほど外来種の生物が増えてます。こんな所までグローバル化進めなくてもいいのに。え?ザリガニ?ザリってとっても恥ずかしがり屋なの。そう。とってもシャイボーイ。少しも釣れないの。

アルコール大好きの話 (第46号/2020年7月) )

コロナの影響で一時はここ日本橋も人出がかなり減りましたが緊急事態宣言が解除されてからは、徐々に増えてきました。まだまだ予断を許さない状況なので、美國屋でも出来るだけの対策をしておりますが、しばらくこの息苦しい状況は続きそうですね。ただでさえマスクで息苦しいのに。何はともあれ、コロナに感染しないことが重要です。コロナウィルスにはまだ分かっていないことが多いからです。と、自分に言い聞かせながら、そして各種除菌スプレーを自分に噴霧しながら、せっせとアルコール消毒に励む毎日です。

こっそりの話 (第四十四、四十五号/2019年7月) )

別に秘密にしていたわけじゃございませんが、美國屋では食券を販売しております。どこにも書いていないので、どこにも知っいるお客さんはいません。ところが先日「これ使えますか?」と食券を持ってきたお客さんがいました。発行日付は平成12年。20年ものの極上の食券です。机の引き出しの底の方に眠っていたそうです。私自身、食券の存在を忘れかけていた所です。これを機にこっそりこの場を借りて宣伝しようと思います。美國屋の食券、贈り物にいかがでしょう。20年経っても使えますヨ!

年の功の話 (第四十三号/2018年11月)

2018年9月25日、新店舗が開店しました。4年3カ月ぶりに、ほぼ元の位置に戻って参りましたが、周りの景色は大分変わりました。お隣さんだった喫茶店ボナールさんは、上野広小路へ(黒門小学校近く)、天ぷらの八ツ花さんは、日本橋本町へ(新日本橋駅近く)、それぞれ引っ越されました。八ツ花さんの向かいだった喫茶店羅宇豆(ロウズ)さんは、美國屋前を昭和通り方面に行き、角を左に折れるとすぐ右手側に見えます。場所が変わってもこういった個人商店が残っているのは嬉しいです。古くからの店の主や町の長老は日本橋の生き字引。話を聞くだけでも面白いです。彼らの語る話の多くはネットにも出てないので貴重です。

2018/9/25(火)新店舗オープンの話 (第四十二号/2018年6月)

中ページでもお伝えした通り、新店舗がいよいよ今年の9/25(火)にオープンします。美國屋が日本橋に開業したのが昭和21年。最初の建物は木造平屋のしもた屋。しばらくするとお神楽で中二階を増築。「このままでは床が抜ける!」と、昭和の終るころ、五階建てのビルに建て替え。四年前、再開発で仮店舗に移転。そして、この度の新店舗。段々と上空に建物が伸びているのがお分かり頂けると思います(笑)。おそらく、22世紀になると、月まで伸びます。

あっという間の話 (第四十一号/2018年1月)

早いもので、仮店舗に移転してから三年半が経ちました。工事が始まった当初は新店舗ができるのはまだまだ先だな~と思いましたが、今年の九月には新店舗で営業を始めます。何ということでしょう。あっという間です(笑)。私が学生時代、アルバイトしていた本屋の店長が「四十過ぎると月日があっという間に過ぎていくよ。ああ、人生って思ってたより短いんだなあ、なんて感じちゃうよ。ユーもそのうち分かるよ」と好物のアサヒ缶ビールを片手に語っていました。店長の飲んだ大量の空缶を片付けるのは私の仕事でした。手っ取り早く片付けないと狭い事務所がビールの空缶に占領され、本屋の仕事が出来なくなるのです。

ちょっと前までは小学生だった話 (第四十号/2016年11月)

先日いらしたお客様。何でも小学生の頃、この辺りに住んでいたそう。何年ぐらい前ですか?と聞くと、70年近く前(!)とのこと。以前、テレビの取材で三田佳子さんが店にいらした時、三田さんのお母さんが髙島屋南口で小料理屋をやっていたという話をされていましたが、その話をすると「ああ、お茶漬け屋さんね!」と嬉しそうに当時のことを話して下さいました。甘味処や二軒あったという銭湯(そのうち一軒は同級生で、現在も交流があるそうです)、お蕎麦屋さんに、前にこのコラムでも取り上げた鰻屋・和田安さんの話など、想像するだけで賑やかな町です。こういった話を聞くと、人と人のつながりがあってこその町だなというのが、本当によく分かります。

レコードジャケットの話 (第三十九号/2016年8月)

その時の気分で店内に飾っているレコードジャケットを変えたりするんですが、今回は矢野顕子「長月 神無月」、荒井由実「流線形 80」、山下達郎「FOR YOU」の3枚です。この三人の中でも特に山下さんのうなぎ好きは有名で「いくら具合が悪くても鰻なら食べられる」という名言があるほど。これはぜひ歌詞にして歌って欲しいフレーズですね!そういえば、矢野顕子さんは「ラーメン食べたいッ♪熱いの食べたいッ♪」なんて歌を歌ってました。あの歌を聞くと無性にラーメンが食べたくなるんですよね~!アタシなんかもう、顕子さんを思い浮かべただけで、あのもじゃもじゃ頭が麺に見えてきて、気が付けばラーメン屋に飛び込んでますもん(笑)。「うな重食べたいッ♪」もお願いしたいところです(笑)。

内緒の話 (第三十八号/2016年6月)

かわいがっているペットとじゃれあっていると癒されますよね!ネコちゃんやワンちゃんに甘噛みされたりしたらもうッ!!思わずこころがほっこりしちゃいます。そんなかわいいペットちゃんたちですが、ウナギちゃんも噛むんです。ウナギはウサギほどではないですけど、アゴが強くて歯が丈夫なので、噛まれるとほっこりどころかむしろスゲー痛いです。ウサギに噛まれると、もっと痛いです。ウナギもウサギもかわいいし、字も似てますけど、ウサギに噛まれると一大事なので、うっかり間違えないようにすることがコツです。みんなには内緒ですよ!

様々な気づきの話 (第三十七号/2015年11月)

自転車を飛ばして日本橋界隈はもちろん、銀座や月島の方まで出前に行くことがあります。自転車だと車で入れない路地や一方通行も関係ないので「道路が渋滞して間に合わない!」といった精神的ストレスから解放されます。心に余裕が生まれることで、「あ!こんなとこに神社がある!」とか「あ!こんなところで、サボテン枯れてる!」とか「あ!こんなところで、私の大腿四頭筋がぴくぴくしている!」とか、出前一回でドラッカーの本一冊分くらいの気づきを私に与えてくれます。DA・KA・RA!私は出前に行くのが大好きなんです(笑)。

リアル相撲女子の話 (第三十六号/2015年6月)

いつも、相撲の場所前に番付表をお店で配布しているせいか、相撲好きのお客様もよくいらっしゃいます。ほとんどの方はひいきにしている力士がいて、安美錦、稀勢の里、琴奨菊あたりが人気です。最近は若い女性ファンも増え「相撲女子」なんて言われてますが、先日テレビを見ていたら里山関夫妻とそのお子さんが出ていました。何でも奥さんは里山関と同じ日大相撲部出身で、女子相撲アジア大会優勝の実力の持ち主だとか。つまり、横綱です!彼女こそ本物の「相撲女子」です!番組では、家の中の様子も紹介され、部屋の中で夫婦が相撲を取る姿も映し出されていました。これこそが本物の「相撲部屋」です。あるいは、「部屋相撲」です。まだ小さいお子さんの為にも里山関にはぜひ頑張ってもらいたいですね!

鰻屋なのに本屋の話 (第三十五号/2015年1月)

仮店舗になり客席が広くなったおかげで、空いたスペースで色々遊べるようになりました(笑)。入口にその日入荷したうなぎを桶に入れて泳がせてみたり、レジ横の棚にお店に縁のある方の本を陳列してみたり、全く関係ない方の本まで勝手に並べてみたり(笑)。たった数冊ですが、元本屋の私としてはとても楽しい作業です(笑)。お客様にも喜んで頂けたら、本屋冥利につきます。「本屋冥利」って、おい!本屋といえば、去年は一日に一軒の割合で町から姿を消していったそうです。今は欲しい本があっても、アマゾンなど通販を利用する人が多く、本当に便利になりました。って、おい!それじゃ困るんです、本屋が!それでも面白い本屋さんもまだまだあって、たまたま立ち寄った本屋が一癖ある品揃えだったりすると、うれしくなってつい、店主が喜びそうな本を手に取って買ってしまうのです(笑)

美しい二階のお姉さんの話 (第三十四号/2014年9月)

今年の8月いっぱいで、「二階のお姉さん」こと照子さんが美国屋を引退されました。勤続30年以上(!)、変わらぬ美声とキュートな笑顔で皆様に愛された照子さん。辞める日も、普段と変わりなくいつもの笑顔(笑)。ファンも多く「元気をもらいに来たヨ~」と照子さんとお話しするのを楽しみにしているお客様もたくさんいらっしゃいました。存在感がありすぎたせいか(失礼!)いなくなると本当に寂しいです、これが。照子さんには仕事のイロハはもちろん、人生哲学まで教えてもらいました(笑)。ありがとうございました、照子さん。お疲れ様でしたッ!●養殖うなぎ稚魚二割削減の話。今回の取決め、法的拘束力がありません。そんな中でどれだけ効果があるか疑問ですが、「必要な分だけ獲り、必要以上は獲らない」というモラルは守ってほしいと思います。

美国屋、仮移転の話 (第三十三号/2014年7月)

美国屋は六月より仮店舗に移転して営業しております。お客様からは「お店行ったら、なくなっててビックリしたわよ~」なんて言われますが、移転しても来て下さるのは本当にありがたいことです。また「建物はいつできるの?」とよく聞かれますが、「四~五年かかります」と答えると、みなさん絶句されます。仮店舗で五年ですからねえ。以前の店舗は五階建てでしたが、こちらの仮店舗はワンフロア。だいぶ勝手が違うので、当初はどうなることかと思いましたが、おかげさまで何とかなりそうです(笑)。お店自体もバリアフリーで広くなりました。今まで美國屋を利用したことのないお客様も、これを機にひとつ、よろしくお願い申し上げます!

魅惑のうんちくスパイラルの話 (第三十二号/2014年2月)

今号の中ページではタレに関するうんちくをタレさせて頂きましたが、色々調べているうち、うんちくがうんちくを呼ぶ「うんちくスパイラル」に陥ってしまったようで、他にも興味深い話が。。。それは、「砂糖」に関するうんちくです。江戸時代の初め、砂糖は超高級品で病気の人の薬に利用されるほどでした。それが中期になると、オランダと中国からの輸入が増えたのに加え、国内での精製技術がアップしたことにより流通量が増え、庶民の口にも入るようになります。実は、国内で砂糖の生産が可能になったのは、平賀源内がサトウキビから白砂糖の精製法を広めたから、という説があるんです。源内は1763年に「物類品隲(ぶつるいひんしつ)」という本の中で砂糖の製造法を記しています。日本産の上質の白砂糖を和三盆糖と呼びますが、源内の故郷、香川では名産品にもなっています。いやはや、鰻屋には馴染み深い源内の名をこんな所でも目にするなんて!

ナイスな町、三島!の話 (第三十一号/2013年11月)

先日、再び静岡県の三島に行って来ました。今回は早い時間に着いたので、どのうなぎ屋さんも営業中です。あるお店でうな重を注文すると、関東流の蒸しの入った美味そうなうな重が出てきました。蒲焼の調理法は静岡県内でかなり混在していますが三島は関東流のようです。もしかすると、同じ三島市内でも関西流の蒸しの入らない蒲焼を出す店があるかも知れませんが、それはまたの機会に!それにしても三島は良い街ですね。三島の学生さんとうなぎ屋さんが共同開発したうなぎの骨入りクッキー「うなっキ~」を商店街のケーキ屋さんで見かけて買ってみたのですが、とても美味しかったです!何より、町を盛り上げよう!という熱意が伝わってきます。夕暮れ時、祭り囃子と一緒にこどもたちの掛け声が聞こえてきたので行ってみると、公園の池のほとりで二十人くらいの小学生がお祭りの練習をしていました。その近くで三歳ほどの男の子が、お菓子の箱を木の棒で叩いて、お兄さんたちのマネをしていたのがとても可愛かったです(笑)

日本橋通三丁目・和田安の話 (第三十号/2013年8月)

先日、お客様から「お宅の裏にお蕎麦屋さんがあったんだけど、まだあるかしら?」と尋ねられました。私は「う~ん、もうないですね。それはいつの話ですか?」と聞き返しましたところ、そのお客様は「戦前の話よ。」とおっしゃいました。店の誰に聞いても、それは知らないとのことで結局、そのお蕎麦屋さんについては分からずじまいです。どなたかご存知の方、いらっしゃいませんでしょうか。そういえば以前、テレビ番組の取材で女優の三田佳子さんがいらした時、三田さんが子供の頃、高島屋の南口側(美國屋は北口側)に鰻屋さんがあったのを覚えている、とおっしゃっていました。その鰻屋さんは、和田安さんといって、戦争が終わって間もない頃、私ども美國屋も色々世話になったという話を聞いたことがあります。和田安さんは戦前からここ日本橋で営業されており、当時の鰻好きの間では名の通った名店でした。古い本などで名前を目にすることもあります。お店はなくなりましたが、いつまでも感謝の気持ちは忘れたくないと思います。

数珠つなぎになって走る話 (第二十九号/2013年6月)

先日、静岡の三島に行って来ました。到着したのが夜の八時過ぎでしたので、鰻屋さんはどこも閉店していましたが、さすが「鰻の町」です。至る所に鰻屋さんがあります。町の中心に小川が流れているので、昔は鰻が捕れたのかも知れません。三島駅周辺はかなり賑やかです。看板が富士山の形をしたお店もあります!世界遺産登録おめでとうございます!看板の富士山に見送られ、私たちはぶらぶら歩きました。しばらくすると商店街のはずれまで来てしまいました。そこは昭和の雰囲気ムンムン漂う懐かしい場所でした。味のあるクリーニング屋さんの前で信号待ちしていると、目の前を自転車に乗った部活帰りの中学生が数珠つなぎになって走っていきます。キミたち、一体どんだけつながってんだい?こりゃものすごい人数だ。この長さはまるで鰻だ。それはさておき、鰻の関西風と関東風の調理法の境界は静岡の浜名湖辺りだと言われていますが、浜名湖よりずっと東に位置する掛川では関西風の調理法の鰻屋さんもありますので、静岡県内でかなり混在しているのかも知れません。今度、三島に行く時は鰻屋さんの開いている時間帯に行って確かめたいと思います。

絶滅危惧種になったニホンウナギの話 (第二十八号/2013年2月)

ニホンウナギが絶滅危惧種入りしました。環境省によるレッドリストではこれまで、ウナギは生態に関して不明な部分が多いことから「情報不足(DD)」に分類されていました。ところが、最近の研究で河川へ遡上する個体が産卵に大きく寄与していることが明らかになったため大きくランクアップして「絶滅危惧1B類(EN)」に分類されることになりました。東京大大気海洋研究所の塚本勝巳教授はじめ多くの専門家は「親ウナギの漁獲規制をすぐにやらないと絶滅する」と訴えています。宮崎県では去年から体長二十五センチを超える親ウナギの捕獲を禁止することを決めました。こうした動きは、おそらく全国~世界的に広がるでしょう。ヨーロッパでは、ヨーロッパウナギは2008年に国際自然保護連盟(IUCN)のレッドリストでごく近い将来における野生での絶滅の危険性が高いものとされる「絶滅危惧IA類(CR)」に分類され、2009年からワシントン条約により国際的な取引が規制されています。こうした規制や現地での地道な保護活動が実際に野生のウナギの保護につながっているかどうかはまだ分かっていませんが、日本でも参考にできる点はあると思います。

サンキュー!ボストン!の話 (第二十七号/2012年11月)

ニュースなどでご存知の方もいらっしゃると思いますが、米国はウナギの不漁を理由にワシントン条約によるニホンウナギ取引の規制を検討していました。しかしこの提案は見送られることになりました。難しい話はさておき。先日ボストンから来られたというアメリカ人のお客様のお話です。テーブルに着くなり、「ウ・ナ・ギ!ウ・ナ・ギ!」と手足をバタバタさせながら嬉しそうに連呼し始めました。ウナギが大好きなようです。あっという間に食べ終わると、今度は「サンキュー!ウナギ!サンキュー!ウナギ!」と雄叫びを上げながら去っていかれました。私は「サンキュー!ボストン!サンキュー!ボストン!」とお応えしながらお見送りしました。これまでボストンといえば、アメリカのロックバンドのボストン(アマンダなどのヒットで有名。なかなかアルバムを出さないことでも有名)しか思い浮かばなかった私ですが、この一件のおかげで、ボストンとウナギが結ばれるようになったのです。サンキュー!ボストン!また会う日まで!

屋さんの話 (第二十六号/2012年5月)

ここ最近、マスコミが盛んに報道するものですから方々で「うなぎ無くなっちゃうの?」と質問されます。私どもはうなぎ屋で、うなぎしかメニューにないので、うなぎが無くなると売るモノが無くなるのです。「うなぎ屋さん」から「うなぎ」を取ったら、ただの「屋さん」になってしまいますね。そんな店、聞いたことありません。「屋さん」だなんて。そんなのヤダ!神様ヘルプ!実際の所、このシラスウナギ三年連続不漁の原因がよく分からないので、今後ウナギがまた獲れるようになるかは、神のみぞ知る所です。この活鰻高騰の中、美国屋としては、うなぎの品質・サイズ・量ともに落とさず、今まで通りの美味しいうな重をお客様にご提供するために、やむなく値上げ致しました。今後も先代からのモットー「美味しい鰻をできるだけ安くみなさまに」をふまえ、「屋さん」にならぬギリギリの所で踏ん張らせて頂く所存でございます!神様ヘルプ!

いささかさんの話 (第二十五号/2012年2月)

たまにお客様から「うな重のフタはどこに置くのがマナーとして正しいの?」という質問を受けます。私はいささかたじろぎ、こう答えます。「さっぱり分かりません」。しかし分からないままでいるのは、いささかマナー違反のような気もするので調べてみました。一、ふたを両手で取って裏返して向こう側へ置きます。向こう側にスペースがないときは横に置いても構いません。テーブルが狭くてふたを置く場所がない時は、お重の下に重ねてもOK。座敷の場合、畳の上に置いても可。二、両手でお重を取り上げて左手で持ち、箸を取り上げて頂きます。お重が大きかったりして持ちにくい時は置いたまま食べても可。最後に、食事が済んだら、それぞれ元の状態にしておくのがベストだそうです。それにしても、このような作法は誰が決めたんでしょう?私のいささか心もとないマナー探求の旅路は今、始まったばかりです(笑)。

こりゃまた切ない話 (第二十四号/2011年10月)

今年は日本橋架橋百周年ということで、中央通りを中心になかなかの盛り上がりを見せております。なんでも、現在の日本橋は明治44年(1911年)に架けられたそうで、慶長8年(1603年)の初代から数えて20代目(!)になるそうです。「火事と喧嘩は江戸の花」なんて言葉が残るほどですから、木造だった当時の日本橋は作っちゃあ燃え、作っちゃあ燃え、の繰り返しだったんじゃないでしょうか。江戸の火事といえば、ちょっと前にお客様と「八百屋お七」の話になったことがあります。1683年、天和の大火でお七が檀那寺に避難した際、そこの寺小姓・生田庄之助と恋に落ちました。翌年、彼女は恋慕の余り、その寺小姓との再会を願って放火未遂を起した罪で捕らえられ、火刑に処された、という切ない話です。なぜそのような切ない話をお客様と話したのかは、まるで思い出せないのが、これまた切ないです。

蒸すの蒸さないの、どっちなの!? (第二十三号/2011年8月)

たまにお客様から「大阪は腹開き、江戸は背開きだよね?」と鰻の割き方について尋ねられます。俗説では町人の町大阪では、「腹を割って話す」という意味合いから腹開きになり、武士の町江戸では切腹を連想させる「腹開き」を嫌って「背開き」になった、と言われています。実際の所、蒸しを入れない大阪では、腹開きで焼いても身が崩れる心配がないので腹開き、蒸しを入れる江戸では腹開きで焼いてしまうと身が崩れてしまうので、崩れないように背開きにした、というもっともらしい説が有力です(笑)。鰻の腹側は皮が軟らかい上、内臓が収められているため、背側に比べて肉が薄いんです。腹開きのものに串を打った場合、もろい腹側が外側に来ます。この状態で白焼きを入れ、更に蒸しを入れ焼いてしまうと身が崩れ、串から落ちてしまうのです。ところで、私の説は全く違います!大阪の職人には負けたくない、という江戸職人の意地と創意工夫が江戸前蒲焼を生みだしたのです!私はそう信じて疑いません(笑)。

金沢は蒸さない! (第二十二号/2011年5月)

先日、金沢へ行ってきました。駅から10分程歩いたところに市場がありまして、野菜や魚介類などを売るお店がひしめきあって商売をしている様子は活気があり楽しかったです。特にカキがこれから旬を迎えるという季節で、ごつごつしたバカでっかいカキが店先に並んでいました。すでにお腹いっぱいで食べれなかったのが心残りです。無理してでも食べれば良かった。。意外だったのが、鰻の蒲焼を売るお店が多かったこと。金沢は東京より大阪からの方がアクセスしやすいからか、蒲焼も関西風の蒸しを入れない地焼きで長焼きのまま売る店がほとんど。私たちは店先に並んでいた程好い大きさの蒲焼をお土産に買いました。焼きの利いた皮は香ばしく、脂がジューシーで甘めのタレが良く合います。串に身を絡めて焼く「くりから焼」の様なワイルドさもあり、お酒にも合うと思います。

うなぎだって家族です (第二十一号/2011年3月)

今号の中ページで取り上げた、うな太郎。世話をしていた亀太郎さんをはじめ、町民のみなさんからも「うな太郎は島の宝」と大変愛されていたようで、何だかジンと来ました。うな太郎は3年前から徐々に餌を食べなくなったそうで、衰弱の原因について亀太郎さんは「井戸周辺の側溝工事による水質悪化と、昨夏来の猛暑と厳寒による水温差に耐えかねたのではないか」と言っています。また「7代目も含め、80年以上世話をしてきたのでとても残念だが、環境が悪いなか、よく頑張ってくれた。(9代目は)水質が悪い井戸に連れてきてもかわいそうだ」と新しいうな太郎を連れてくることには否定的だそうです。ウナギは生命力が強いので意外に思われるかもしれませんが、綺麗な水じゃないとダメなんですね。でもこんなに愛されて逝ったうな太郎は幸せだったと思います。

気絶するほど悩ましい日本橋の話 (第二十号/2011年1月)

先日、お客様から「日本橋に来たの初めてなんだけど、オススメのスポットはある?」と尋ねられました。答えに窮した私は思わず「ま、まず、日本橋に行かれたらどうですか?」とお答えしたのです。そうしたら、お客様は「ま、まず、日本橋の名物を買いたいッ」とおっしゃいましたので、私は「高島屋で買物をされた後ッ、日本橋を渡って三越方面へ行かれたらどうでしょう?木屋さんだとか大和屋さんだとか色んなお店があって楽しいですよッ」とお勧めしたのです。そういった老舗の他にも日本橋には日本銀行(予約すれば見学できます)や野村證券などの趣ある建物、十軒店跡(江戸時代の長屋跡)、伝馬町牢屋敷跡(安政の大獄で吉田松陰らが投獄された)など江戸時代の史跡が結構あり、思わぬ所でひょっこり出くわしたりします。散歩マニアには気絶するほど悩ましい町なのでございますッ(笑)。ちなみに先ほどのお客様は「時代劇によく出てくる八丁堀に行ってみたいッ」とのことで私のオススメとは逆方向の八丁堀方面に行かれました。。(笑)

気絶するほど悩ましい話 (第十九号/2010年10月)

先日なんとなく千葉県佐倉市の国立歴史民族博物館へ行ってまいりました。あまりの広さと充実した展示物の数々を前に、何の予備知識もなしに「なんとなく」来てしまったことをすぐに反省。科学技術の進歩による最新の論説はもちろん、博物館からの考えや主張がそこかしこに表れていて熱いんです(笑)。日本だけでなく世界の歴史も並行して展示され、人類全体の歴史の流れを地球規模で眺められる仕組みは、なんとなくクリスタル。私が特に注目したのは江戸時代。以前、この小冊子でも取り上げた江戸時代のガイドブック「江戸買物独案内」がワンフロアーの一角を占めるほど大胆にフィーチャーされていて、日本橋一丁目遺跡から実際に出土した江戸時代の茶碗やお椀などの陶器や漆器類、問屋の看板なども一緒に展示され、気絶するほど悩ましいくらいに想像力をかきたてられるのです(笑)。

部屋と扇子と団扇と私 (第十八号/2010年9月)

今年の夏は全国的に猛暑でビールやアイスが飛ぶように売れたようです。新聞にビール会社のこんな広告が出ていました。「ご好評につき、品切れ状態が続いて申し訳ございません」。宣伝なのか謝罪なのかよく分からない(笑)。気温が一度上がると千五百億円の経済効果があるなんて話も耳にしますが、先日いらしたお客さんの話も景気よかったです。「アタシの娘が北海道の札幌にいるんだけど、夜暑くて寝られないんだって。あんまり暑いんで買ったらしいわよ、扇風機!今、北海道で無茶苦茶売れてるそうよ」。エアコンじゃ寒すぎるんだそうです。私も扇風機好きなんですが、意外と涼しいんですよね(笑)。驚くのは電気代。エアコンは一時間で二十~三十円かかるのに対し、扇風機は一円程度。環境にも優しいし、エコな時代にピッタリ!更なるエコを求める上級者は、扇子と団扇にステップアップ!熱中症にはくれぐれも注意して。

鰻と同じくらい味な話をするお客さんの話 (第十七号/2010年7月)

先日いらしたお客様が「せっかく来たんだから、ちょっとは話でもして帰りたいよな。食べて帰るだけじゃ味気ないよ(笑)」と屈託のない笑顔で話しかけてくれました。美国屋が木造二階建てだった頃の珍しい話や「あの人はまだいるね、ちっとも変わらないね(笑)」などなど。ん~でもやっぱり三十年以上もいればだいぶ変わってると思うんですが(笑)。私の良く行く喫茶店のマスターは「お客に自分から話しかけるのは失礼。しかし、話しかけられれば話す」というポリシーのもと、毎日元気に話しまくっています(笑)。来るお客さんもマスターと話がしたいんですよね。ただ、話がヒートアップすると客であろうが何だろうがいつの間にか説教に変わってて、それが延々終わらない(笑)。ちょっと脱線しましたが、件のお客様が帰り際に「もう歳とっちゃってそう何度も来られないけど、また来るよッ!」と言ってくれた時は何だかジーンときました。またお待ちしております!

たしなめられる子供たち (第十六号/2010年6月)

先日、三重までお伊勢参りに行って来ました。初めに外宮、それから内宮にお参りしたのですが、ものすごい人。特に内宮はお参りするのに百メートルはあろうかという長蛇の列!並びましたよ、せっかく来たんだから(笑)。一時間以上かかってやっとお参りできた時はもうフラフラで天照大神の幻覚が見えました(笑)。休日で子連れの参拝者も多く、境内の林で並ぶのに飽きた小さいお子さんが木の枝をへし折り奇声を上げながら走り回っていました。見かねた神主さんが「いい加減にしなさいッ!」と一喝すると静まり返りました。鳥や虫までもが静まり返りました(笑)。それはさておき、伊勢神宮の周辺にはいくつか宿場町があります。特に関宿は古い街並みが美しく保存され素晴らしいです。散策するのにも最高です。駅からちょっと離れていて地味ですが、オススメのスポットです。

草花とわたし (第十五号/2010年5月)

お店の前のプランターで草花を育てていると、道行く人やお客様が声をかけて下さります。「きれいね~」とか「見事ですね」といった言葉を頂くと大変うれしいものです。花に詳しいお客様から「この君子蘭は南アフリカ原産で、森やなんかの日陰に生えるから太陽があたらなくても育つんだ。雨が少ない地方だから水やりも少なくていいんだよ」と教えて頂いた時は、なるほどと思いました。意外に思ったのは花好きの男性が多く、携帯電話のカメラで撮った写真をうれしそうに見せてくれることもあります。とても参考になります。な~んてここまで書いておいてアレなんですが、お店の草花の世話をしているのは私じゃないんですけどね(笑)。

毎日うなぎを食べ続けるわたし (第十四号/2010年4月)

私は主食さながらに毎日うな重を食べ続けているのです。そうしていると、たまに刺激が欲しくなる時があり、そういう時はちょっとだけアレンジを加えて頂きます。普通うなぎに山椒を振りすぎると、うなぎの風味が薄れてしまうのであまりオススメしないものですが(笑)、蒲焼一面に山椒を振りまくり、その上にタレをたっぷりひと筋ふた筋かけて頂くと山椒の刺激で舌がピリピリ、更にかけすぎたタレの濃い味で脳の満腹中枢が刺激され得も言われぬ幸福感に満たされます(笑)。くれぐれもマネしないで下さい。「白焼きごはん」もたまに頂きます。白焼きをわさび醤油につけてご飯を食べる、ただそれだけですが、うまいんです。チャンスがあったらぜひチャレンジしてみて下さい。でもやっぱり、うな重が一番です(笑)。ですから、私はうな重を食べ続けるのです。

箱根の旅館の仲居さんの話 (第十三号/2010年1月)

先日、箱根の旅館に泊まった時の仲居さんの話です。「実家が魚屋だったので、子供の頃は丑の日が近付くと父親が徹夜してウナギを割いて蒲焼にしたもんです」。ウナギは普通の魚と違い、割くのが難しいので、私はびっくりしました。それから仲居さんはこう続けました。「余った肝は肝煮にして全部私が食べました。おかげでこんなに立派になっちゃって。親に感謝です(笑)」。確かに立派です。私は思わず「どうすればそんなに立派、じゃなくて、元気になれるんですか?」と尋ねると仲居さんは教えてくれました。「週に一回、小田原までラーメンを食べに行くんです。それが楽しみで、そのために頑張るんです(笑)」。なるほど。私は膝頭をポンと打ちました。

グローバル化する日本橋の祭の話(笑) (第十二号/2009年11月)

先日、埼玉県川越市の川越まつりに行ってきました。とにかく山車が巨大で山車同士が道ですれ違う時や、四ッ辻で山車四台がそれぞれ向かい合ってお囃子と踊りを競い合う様は圧巻。山車が通った後の道路は車輪の跡ですごいことになってまして、まさに戦いの跡といった感じです(笑)。川越は「小江戸」と称され古い街並みも雰囲気があり、実際に江戸城から移築されたものもあるそう。ところで、ここ日本橋でも祭の季節になると血気盛んな担ぎ手が威勢よく神輿をかつぐ姿が見られます。最近は外人さんの担ぎ手もチラホラ。背が日本人より高いため神輿の重さが集中。悲鳴にも似た彼らの雄叫びが祭を更に盛り上げてくれます(笑)

グローバル化する和食業界の話(笑)(第十一号掲載/2009年10月)

どういうわけか海外の某旅行ガイドブックに美國屋が掲載されているらしく、日本語の全く話せないお茶目な外国人のお客様が多くいらっしゃいます(笑)。そんな外国の方のためにメニューに小さく英語でsmall, medium, large とサイズ表記したところ、日本人のお客様も普通に「ミディアムひとつ」とか言うもんですから最初はおかしくって笑いそうになりました。こないだ行った京都のてんぷら屋さんのメニューはもっとすごかったです。てんぷら一品一品が味のある手書きの絵で描かれ、それぞれに英語で表記が。お店の方に「英語で書いてありますね」と尋ねると「はい。私たち英語が堪能なもので(笑)」と即答!ちなみに「きす」はfishでした。確かにフィッシュです(笑)。

うなぎと梅干しと銀杏とわたし (第十号掲載/2009年4月)

うなぎと梅干しは食い合わせが悪い、などと昔から言われておりますが、ホントのところどうなんだろ?と思い、試してみました。蒲焼の甘みと梅干しの塩っけ・酸味がマッチして箸が進みます。食後、消化不良などに陥ることもなく全く問題なし。調べた所、うなぎと梅干しの食い合わせが悪い、というのは迷信で、医学的にはデタラメだそうです。なぜそんな迷信が生まれたのか分かりませんが、どうやら江戸中期、貝原益軒によって書かれた道徳書「養生訓」に食べ合わせの悪いものの例として「うなぎと銀杏」が挙げられているそうなんです。それがいつの間にか銀杏から梅干しに変わったらしいです。では、うなぎと銀杏の食い合わせは・・・?

屋上で象を飼う話 (第九号掲載/2009年1月)

昭和二十年代から美国屋に来て下さっている常連のお客様が珍しい話をして下さいました。「母と私とで日本橋の三越に油を買いに来ていたの。で、そのついでに初めて美国屋に立ち寄ったのが昭和二十五年頃」。他にも、昔のデパートは下足番がいて履物を預けて中に入ったとか、色々面白い話をして下さるのですが「今じゃこんな話、しても誰にも通じないから話す機会がないのよ(笑)」ともおっしゃっていました。ちなみに、日本橋高島屋の屋上に象の高子ちゃんが登場したのも昭和二十五年。屋上庭園の噴水の周りを子供を乗せて歩いたそうです。「タカちゃん」と呼ぶと「ウォーッ!」と可愛らしい雄叫びで答えたり、芸も達者な人気者だったそうです。見たかったなあ、タカちゃん。

白黒の日本橋の話 (第八号掲載/2008年12月)

あるお客様が一枚の古い写真を見せて下さいました。それは白黒の写真で、乳母車に乗った赤ちゃんとお母さんが写っていました。よく見ると見覚えのある風景です。それもそのはず、日本橋の橋の上。今と大きく違うのは、橋の上に高速道路が走ってない!それだけで日本橋の空がものすごく広くみえるんです。あの高速を地下に通して景観を良くしよう、なんて計画もあるようですが、出来たらすごいですね。あの辺りは昔は河岸があったそうで、僅かですが昔の面影も残っています。お散歩コースとしても人気があるようです。鬼平犯科帳などが好きな方なら思わずニヤリとさせられます(笑)。私は読んだことないんですが。って、おい!(笑)

日本橋で続々と出土する遺跡の話 (第七号掲載/2008年11月)

最近、日本橋界隈はビルの建て替えラッシュ。町の様子も様変わりしてきました。十数年前まで日本橋の会社に勤めていて久しぶりに鰻を食べに来た、というお客様が「まるで浦島太郎だよ~」と嬉しそうに当時を懐かしむ姿をよく目にします(笑)。そういえば、現在のコレド(旧東急、その前は白木屋)を建てる時、工事していたら江戸時代の珍しい遺跡が出土して工事がストップした、なんてこともありました。そして今現在(平成二十年十一月)、日本橋人形町三丁目でも江戸の遺跡が出土、発掘調査中!何でもこの付近は芝居小屋や茶屋が軒を連ねていた地区で、出土品も飾り金具やかんざしなど華やかな町を想像させる物が多いそう。

中川の天然ウナギの話 (第六号掲載/2008年10月)

先日いらっしゃったお客様が「中川でウナギが釣れるんだよね」という話をされていまして、何でも「釣ったウナギが五、六匹たまると近所のウナギ屋さんに持って行って蒲焼にしてもらうんだ」そうです。中川の天然ウナギ。美味しいのでしょうか。ちょっと食べてみたい気もします。そういえば私が子供の頃、小さなウナギをもらってきて水槽で飼っていました。いやいや、そのウナギを食べちゃった、なんて話じゃないですよ(笑)。ウナギは筒状のモノが大好きなんです。プラスチックの配管を入れてあげたら、その中から出てきやしません。たまに出たかと思えば、なんと水槽の外!朝起きると、床の上でカラッカラに干からびてる、カラッカラに。で、水に入れると生き返るんです、これが。オマエは干しシイタケか!なんて言いたくなるほど、素晴らしいシイタケです。じゃなくて、生命力です(笑)。

ネコのクロとアカの話 (第四、五号掲載/2008年8月)

昔、美國屋は木造二階建てでした。戦後すぐ木材も不足がちな頃に建てたものなので、柱の太さもバラバラだったそうです。「今にも床が抜けそうだった!」と昔を知るお客様はおっしゃいます。それから当時「クロ」と「アカ」という名の猫が二匹おりまして、クロは店が開店すると二階の押入れに入ってじっとしていたそうです。そして昼の三時過ぎ、お客様がいなくなると「出してぇー!」と人を呼ぶんだそう。夏場なんか押入れから出てくるとそれはもうヘロヘロだったそうです。当たり前です。一方、アカは店が開店すると二階客席のテーブルの下でおとなしくしていたそうです。当時、アカを膝に乗せてかわいがって下さったお客様はいまだに美國屋にいらっしゃってます(笑)。そんなクロとアカ、二匹とも大変長生きしました。晩年は二匹とも仲良く揃ってヘロヘロでした(笑)。

60年ぶりのお客様の話 (第三号掲載/2008年5月)

先日「六十年ぶりにこの店に来たヨォ~♪」というお客様がいらっしゃいました。今の建物になる前の美國屋は、木造二階建てだったのですが、そのお客様はその木造を建てた時、二階の壁を塗った大工さんだったそうです。他にもこんなお客様がいらっしゃいました。木造時代の看板を今でも店内に飾っているのですが、そのお客様はその看板を作った方で、「まだ大事に飾ってくれている!」とえらく感動されていました。戦後間もない頃は、ウナギはあるけど米がないので、お客さんはご飯持参で店に来ていた、なんて話も聞いたことがあります。

戦災で移転?の話 (第二号掲載/2008年3月)

先日いらっしゃった初老の男性のお客様から「この店は古いの?」と聞かれ、「創業は明治中期ですが、六十数年前、戦後すぐ本所からこちらに移転して営業しております」とお答えしたところ、「ああ、本所あたりは戦災で焼け野原だったからねぇ」と言われました。今までなぜ本所から日本橋に移転したのか知らなかったし、余り考えたことがなかったものですから、「戦災で移転したのか!」と妙に納得。実際のところどうなのかと思い、聞いて調べたところ、それもあるし、他にも面白い話が(笑)。そのうち書いてみます!人にも店にも歴史あり、なんつって。

「符丁」という暗号の話 (第一号掲載/2007年9月)

小ネタをひとつ。伝票に書いてある「り○」とか「リ丁」とか「川り」。これ符丁(商品を呼ぶ時の合言葉)なんですね。0=○(まる)、一=千、二=リ、三=川、四=月、五=丁、六=天、七=カ、八=ツ、九=丸(がん)。川魚業界では古くからある隠語ですが、なかなかトンチが利いてますよね。ちなみに美國屋のお客様は、2,000円を「小さいの」、2,500円「真ん中の」、3,200円「二段重」と呼ぶ方が多いです。最近は外人さんも多くいらっしゃいます。その時はもちろん、2,000円「スモール」、2,500円「ミディアム」、3,200円「ラージ」とインターナショナルバージョンで対応致しております。

美國屋名物!?

これなんだと思います?「日本橋マッチ・デザイン・コンテスト」でいつも大体4~5位くらいのマッチなんです。「日本橋マッチコンテスト」と言ってもメジャーな大会ではないので、その順位がいいのか悪いのか私には見当もつきません(笑)。ホントにそんな大会があるのかさえ怪しい(笑)。でも、おみやげに持って帰られる方、お仏壇のお線香用に定期的に持って帰られる方、みなさまにに重宝がられています。そして、愛されています(笑)。最近、マッチが手に入りにくいらしく、大人気です。レジ横に置いてありますので、記念におひとつどうぞ!写真をクリックしてみて下さい。ここぞとばかりに大きくなります(笑)。