美國屋

●日本橋高島屋新館一階・美国屋

住所/東京都中央区日本橋2-5-1
日本橋髙島屋三井ビル1階

電話/03-3271-3928

営業/11~15時(売切終了)

*本日は完売しました。

定休/日曜

●日本橋高島屋店
(本館B1F 食品売場)
電話/03-3211-4111

●最寄駅
東京メトロ東西線・銀座線
日本橋駅 B4出入口すぐ横

●予約は承っておりません。

●カード不可。お支払は現金のみ。

●駐車場サービスなし。



●本日、12/3(火)入荷のうなぎは愛知産です。*本日は完売しました。今季の鰻は、愛知県一色町、三河淡水さんが手塩にかけて育てた養鰻をメインに使用。美しい矢作川の天然水に育まれた鰻は、味の決め手となる飼料に独自開発した「三河鰻咲」を使用。オキアミ等を配合することで鰻本来の自然な味を引き出すことに成功しました。美國屋では季節を通じ、質の良い鰻を取り揃えるため、愛知産、鹿児島産、宮崎産の鰻を使用しております(産地は毎日、店頭、ウェブサイトに掲示)。(2024/12/3)


●店内に飾ってある絵が上野瑞香作「万年青」に変わりました。白っぽい長めの葉っぱが万年青というそうです。一年中葉っぱが茂っていることから日本のみならず外国でも縁起が良いとされているそうです。ご利益のありそうな絵です(笑)(2024/11/21)


●テイクアウトのご注文
テイクアウトの蒲焼、鰻弁当の電話注文もできます。
03-3271-3928
メニューはコチラ!

●出前迅速!
自転車で7〜8分圏内なら可能です。お気軽にお電話どうぞ。
03-3271-3928
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初代創業は明治

店舗外観 椅子48席 窓際

明治26年、新潟県より上京し、墨田区本所で鳥と川魚を扱う料理屋・鳥藤を開いたのが、初代・笹沼藤吉です。終戦直後の昭和二十一年、藤吉の子・卯一郎が焼け野原の日本橋(現在の場所)に店を移転。荒れ果てた戦後の日本が再び美しい国になるよう希望を込め、屋号を美國屋(みくにや)と改めました。戦後すぐは米が手に入らず、蒲焼のみ店頭販売していましたが、店内でうな重が食べたいとのお客様のご要望もあり、後に提供するようになりました。以来、鰻蒲焼専門店として「高級品の鰻を出来るだけ安く皆様に」という先代の言葉を大切に受け継ぎながら、代々日本橋の地で営業を続けております。日本橋にお越しの際はどうぞお立ち寄り下さいませ。(右の写真は1966年/昭和41年当時の美國屋。あるお客様が当時を懐かしんで送って下さいました。部屋の整理をしていたら出てきたそうで、写真とともに心のこもったお手紙が同封されておりました。クリックすると大きくなります)。

鰻は愛知産。今季の鰻は、愛知県一色町、三河淡水さんが手塩にかけて育てた養鰻をメインに使用。美しい矢作川の天然水に育まれた鰻は、味の決め手となる飼料に独自開発した「三河鰻咲」を使用。オキアミ等を配合することで鰻本来の自然な味を引き出すことに成功しました。美國屋では季節を通じ、質の良い鰻を取り揃えるため、愛知産、鹿児島産、宮崎産の鰻を使用しております(産地は毎日、店頭、ウェブサイトに掲示)。鰻は毎日、売り切る量を仕入れ、新鮮なうちに仕込みます。鰻が売り切れたら、おしまいです。そのため、早じまいする事もありますのでご了承下さい。熟練の職人が心を込め、一枚一枚ふっくら丁寧に焼き上げた蒲焼を、どうぞご堪能下さい。

タレは江戸前、百二十余年に渡り大切に受け継いでいるもので、昔と変わらぬ手作りによる製法で、醤油・みりん・砂糖を調合。江戸時代中期、関東産の濃口醤油が普及しました。それをきっかけに、江戸の鰻職人が研鑽を重ね完成させた江戸前蒲焼。その江戸前蒲焼を最も美味しく食べられる「さっぱり味」に仕立てることで、繊細なうなぎ本来の味をお楽しみ頂けます。

お米は、宮城産のササニシキ、茨城産のコシヒカリを玄米で仕入れ、独自にブレンド。鮮度にこだわり、自家精米機(二馬力!)で必要な量だけ精米。つきたてのお米を程よく硬めに炊き上げることで、タレとの絡み具合が良い塩梅に。美国屋印のアツアツごはんをどうぞ!もちろん、ごはん大盛り無料です。

肝吸いは、味と香りのよい日本橋大和屋の鰹節を使い、毎朝一番にダシを取ります。仕込みどきに広がるダシの湯気と香りは、美国屋の朝の風物詩です。しっかりとした鰹ダシのシンプルな味付け、ほんのり爽やかなゆずの香りがコクのある肝の味を引き立てます。お重にはサービスで肝吸とお新香をお付けしております。

お新香は、お店の糠樽できゅうり、大根をつけています。「ぬか床」には自家精米した際の「ぬか」を使い、隠し味に塩や昆布などをまぶしながら、毎日大事に手入れをしています。隠れファンが多く、追加で別に注文されるお客様もいらっしゃいます(笑)。

お茶は、静岡県産の本山茶を使用。農家からの産地直送です。川沿いの山間地で育ったお茶はミネラル分が豊富で「山の香り」と呼ばれる独特の香りがあり、ほわほわと柔らかな口当たりとさっぱりとした渋みが鰻とよく合います。味と香りを引き立たせる摂氏八十度のお湯で愛情込めて、お淹れしております。ちなみに、徳川家康もお気に入りだったそう(笑)。

週刊平凡 1959年 美国屋のうなぎ/土門拳

●美国屋のうなぎ/土門拳(写真家)
上の写真は昭和34年の週刊平凡です。クリックすると大きくなります。写真家の土門拳さんが美国屋について書いて下さっています。戦後間もない頃から土門さんは美国屋を贔屓にして下さり、たくさんの方々に紹介して下さいました。美国屋にとって、恩人ともいえる方です。店内に土門さんが書いて下さった記事など展示しております。また、レジ前の新聞ラックに土門さんの写真集を置いてあります。ぜひお手に取ってご覧下さい。

●小冊子 うなぎ美国屋
店頭で配布している小冊子「うなぎ蒲焼 美國屋」に連載しているウナギに関するニュースや豆知識をWEB上でも読めるよう下に転載しています。2~3ヶ月に一回の不定期刊ですが地道に続けております(笑)。また巻末のコラムもこちらのページに転載しておりますので、ぜひご覧ください!

●2016/7/30(土)は土用丑の日! (うなぎ蒲焼 美國屋 第38号/2016年6月掲載)
もともと土用の丑の日は「薬食い」といって栄養のある物を食べる習慣があったようです。よくよく調べると「薬食い」という言葉は冬の季語で、これは冬場の滋養強壮に牡丹鍋などの肉類を食べたことが由来だそうです。江戸時代、肉食は禁忌とされていたので、肉を食べるいい口実だったという話もあります(笑)。一方、うなぎも当時から肉に並ぶ高タンパク食として、夏バテ防止に食されていたので、鰻が夏の土用丑の薬食いとして定着していったのも不思議ではない気がします。ちなみに、「土用」とは五行説に基づいて季節を分類したもので、春夏秋冬それぞれの季節の終りの十八日間をさします。つまり、「土用の丑の日」とは土用の間で日の十二支が丑の日のことです。土用は季節の変わり目にあたり、体調を崩しがち。それで縁起をかついで「うし」の日には頭に「う」の付く食べ物を食べて栄養をつけよう!といった風習が広まったようです。

●今年の土用丑の日は、7/24(金) (うなぎ蒲焼 美國屋 第36号/2015年6月掲載)
もともと土用の丑の日は「薬食い」といって栄養のある物を食べる習慣があったようです。よくよく調べると「薬食い」という言葉は冬の季語で、これは冬場の滋養強壮に牡丹鍋などの肉類を食べたことが由来だそうです。江戸時代、肉食は禁忌とされていたので、肉を食べるいい口実だったという話もあります(笑)。一方、うなぎも当時から肉に並ぶ高タンパク食として、夏バテ防止に食されていたので、鰻が夏の土用丑の薬食いとして定着していったのも不思議ではない気がします。ちなみに、「土用」とは五行説に基づいて季節を分類したもので、春夏秋冬それぞれの季節の終りの十八日間をさします。つまり、「土用の丑の日」とは土用の間で日の十二支が丑の日のことです。土用は季節の変わり目にあたり、体調を崩しがち。それで「うし」の日には頭に「う」の付く食べ物を食べて栄養をつけよう!といった風習が広まったようです。また、土用の間に丑の日が二回来る場合があり、二回目を「二の丑」と言います。今年の二の丑は、8/5(水)。

●「うし」の日は「う」の付く食べ物! (うなぎ蒲焼 美國屋 第36号/2015年6月掲載)
丑の日にうなぎを食べるようになった理由には諸説ありますが、一番有名なのが、平賀源内説です。これは、夏場客の来ない鰻屋に源内が、「本日丑の日」と書いて店先に貼りなさい、と助言したところ大繁盛した、というものです。うなぎの旬は本来、秋冬なので夏はそれほど忙しくなかったのかも知れませんね。しかし、江戸の肉体労働者は夏バテ防止に蒲焼を食べていたそうですから、イメージ的にはアリだったんでしょう。今ではうなぎは冬ではなく、夏の食べ物になってしまいました(笑)。もともと丑の日に「う」のつく食べ物を食べると夏負けしないという言い伝えがあり、うなぎ以外にも梅干しや瓜を食べる習慣があったそうですが、源内説がホントかウソかは別として、全国の鰻屋さんにしてみれば、こいつはまたとないビジネスチャンスだ!江戸の商人がこのチャンスをみすみす逃すわけがありません(笑)

●実は夜型なんです、アタシ (うなぎ蒲焼 美國屋 第35号/2015年1月掲載)
お店の入口にその日入荷したうなぎを桶に入れて置いたところ、あんまり動かないもんですから「これ生きてるんですか?」とか「名前を付けて飼ってるんですか?」とか尋ねられるウィットに富んだお客様がたくさんいらっしゃいます。実はうなぎは夜行性で、昼間はお休み待夢(タイム)。欲を言えば、筒の中でゆっくり眠りたいむ。そう、うなぎは筒が大好き。筒があると、条件反射的に入ってしまいます。これからうなぎを飼おうと思っている方はぜひ、筒を入れてあげて下さい。エサは基本的に何でも食べます。うなぎを割いていたら、お腹から木の枝が出てきたなんてこともありました。そうそう、うなぎに噛まれると痛いです。あごの力が強いので、何でも食べることができるんですね!

●頭に磁石が入ってるのかしら、アタシ (うなぎ蒲焼 美國屋 第35号/2015年1月掲載)
2006年、東大の塚本先生とそのなかまたちが一生懸命、探して下すったおかげで、長らく謎だったニホンウナギの産卵場所がグアム島やマリアナ諸島の西側沖のマリアナ海嶺のスルガ海山付近であることが、ほぼ分かりました。ところで、うなぎはカーナビもないのにどうしてそこまで辿り着けるのか、未だに謎です。一説には、ウナギの頭の中には磁石があって、それがセンサーの役目を果たし、磁気の乱れを感じた場所を産卵場所にしているのではないか、という話もあります。また、うなぎはメチャクチャ鼻がいいので、かつて稚魚だったころに暮らした海の匂いの記憶を頼りにしているとの説もあったり。う~ん、本当かしら(笑)。うなぎ、まだまだ分からないことだらけでーす。

●養殖うなぎ稚魚2割削減 (うなぎ蒲焼 美國屋 第34号/2014年9月掲載)
ニホンウナギの資源管理策を協議していた日本と中国、韓国、台湾は2014年9月17日、養殖に使う稚魚の量を2割減らすことで合意しました。ニホンウナギの資源管理で国際的な枠組みをつくるのは初めてで、今年11月から適用されます。これは、稚魚の乱獲を防ぎ資源を確保することが目的で、2016年に開かれるワシントン条約の会合で、ニホンウナギが輸出入の規制対象とならないよう先手を打った形です。今年の6月、世界的権威のIUCN(国際自然保護連合)のレッドリストの絶滅危惧種にニホンウナギが指定され、今回の取決めでますます厳しい状況に置かれる鰻業界。徹底的な稚魚の管理が「本当に」なされることを切に願います。

●155歳のうなぎ死す (うなぎ蒲焼 美國屋 第34号/2014年9月掲載)
2014年8月5日、スウェーデン南部で推定年齢155歳以上というウナギが死亡しているのが、飼い主によって発見されました。1859年に井戸の中に投げ込まれていたのを発見され、飼われていたというこのウナギ。当時すでに成体であったことから、実際の年齢は155歳以上ということになります。更にこのウナギ、スウェーデン版の「トム・ソーヤーの冒険」ともいえる「BOMBI PITT」(1932年刊行)にも登場しており、国内ではなかなかの有名魚。もともとヨーロッパウナギは寿命が長いことで知られ、雌は20年かけて成長しますが、ここまで長~い期間を生きたのは記録にないそうです。ウナギの遺体は、ストックホルムの淡水生物研究所に搬送され、「本当の」寿命を確認するため解剖が行なわれる予定だそうです。

●美國屋、仮店舗に移転しました! (うなぎ蒲焼 美國屋 第33号/2014年7月掲載)
この度、日本橋地区再開発計画のため、髙島屋北口前からこちらの仮店舗に、2014年6月2日に移転しました。工事期間中(4~5年)は何かとご不便をおかけ致しますが、何卒ご了承下さいますようお願い申し上げます。美國屋は建物が出来次第、元の場所(髙島屋北口前)に戻る予定です。完成予定は、2018年夏頃。建物の高さは約180m、地上31階建てのビルです。7階までが髙島屋で、その上はオフィスなどが入る予定。美國屋は一階で、ほぼ同じ場所に戻ります。なんでも、再開発地区は江戸時代の遺構などが残されている可能性が高く、発掘調査のため工事が一時中断されることもあり、その場合は2019年まで工事が伸びるかも知れないとのことです。

●7月29日(火)は土用丑の日! (うなぎ蒲焼 美國屋 第33号/2014年7月掲載)
平成26年7月29日(火)は夏の土用・丑の日です。土用の丑といえば、うなぎ!もともと土用の丑の日は「薬食い」といって栄養のある物を食べる習慣がありました。「土用」とは五行説に基づいて季節を分類したもので、春夏秋冬それぞれの季節の終りの18日間(立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間)をさします。つまり、「土用の丑の日」とは土用の間で日の十二支が丑の日のことです。土用は季節の変わり目にあたり、体調を崩しがち。それでうしの日には頭にうの付く食べ物を食べて栄養をつけよう!といった風習が広まったそう。能書きはさておき、先人の知恵とユーモア、粋だねえ!

●タレのうんちくをタレる (うなぎ蒲焼 美國屋 第32号/2014年2月掲載)
江戸前蒲焼のタレが醤油の効いた「辛口」になったのは、江戸時代、肉体労働者の多い江戸では塩分の濃い味が好まれたというのが理由の一つです。もともと江戸の蒲焼は、ぶつ切りにした鰻を串に刺して焼き、味噌や酢、塩などをつけて食べるというシンプルなもので、屋台などで手軽に食べられる庶民の食べ物でした。それが文化文政期(1804~1830)に千葉県の野田や銚子産の安価で良質な関東独自の濃口醤油が広く普及したことで状況が一変します。この醤油と味醂を調合することで、味の濃い江戸ッ子好みの辛口醤油ダレが作られるようになったのです。更にこのタレを、上方流から江戸流に独自にアレンジした調理法に用いることで新しい江戸前蒲焼が誕生します。タレが辛口になったもう一つの理由は、コスト面からも説明できます。当時、砂糖は高級品でした。また、味醂を調味料として使い始めたのもこの頃からですが、やはり高級品でした。結果的に安価な醤油の配分が多くなるため、塩分が濃く煮詰めても比較的粘度(糖度)の低いさっぱりめのタレが出来上がります。

●レターのうんちくをタレーる (うなぎ蒲焼 美國屋 第32号/2014年2月掲載)
レターといえば手紙ですが、手紙といえば切手です。さて、今号表紙の鰻の切手。これは、昭和41年(1966年)発行の魚介シリーズ第6集の15円切手です。なんと現在、30円で取引されております。切手の世界においてもうなぎの価格は高騰している模様です。実は、江戸時代にも「鰻切手」なるものがありました。これは当時の商品券で、現在のビール券やお米券などと同じようなものでした。これを持って鰻屋に行くと、蒲焼と交換してもらえました。鰻屋はこの鰻切手を発行元の両替商に持っていき、現金に換金しました。他にも「そば切手」「かまぼこ切手」など様々な商品券が発行され、贈り物などに使われていました。商売上手ですね(笑)

●美國屋のうな玉丼セット 1500円(新香・吸物付・税込) 限定16食 (うなぎ蒲焼 美國屋 第31号/2013年11月掲載)

稚魚不足でうなぎ価格高騰が止まらぬ昨今、本物の美味しいうなぎをリーズナブルな価格でお客様に提供できないかと思案致しました。うなぎの量はお重に比べ少ないですが、品質も全て同じものを使用。貴重な国産うなぎ蒲焼(半身)に、ふんわりと焼き上げただし巻き卵をアツアツのご飯の上に乗せました。「そんなに量はいらないけど、ちょっとうなぎが食べたいなあ」なんて時にもゼヒ!

●美國屋のうな丼セット 2000円(新香・肝吸付・税込) 限定20食 (うなぎ蒲焼 美國屋 第31号/2013年11月掲載)

うな玉丼の蒲焼より大きなうなぎの蒲焼が乗ったうな丼。うなぎの量は一匹の半分ですが、蒲焼に厚みがある分、脂も乗っています。身が厚くなると、タレの浸み込み具合もほどほどになるので、繊細なうなぎそのものの味もお楽しみ頂けます。タレが足りない方は卓上の汁次にご用意してございますので、お好みでおかけ下さい。全メニュー、ご飯の大盛りは無料です。お気軽にご注文下さい。

●ドラム缶とウナギ (うなぎ蒲焼 美國屋 第30号/2013年8月掲載)

世界には色々な鰻料理があります。スペインでは鰻の稚魚をにんにくと唐辛子とオリーブオイルで炒め、塩とコショウ、レモン汁を振って食べる料理があります。またフランスでは、ぶつ切りにした鰻をワインで煮込む料理もあります。豪快なのは、アメリカです。ニューヨーク州キャッツキルの山間部では、デラウェア川で獲れた鰻を燻製にして食べるそうです。燻製小屋で塩と黒砂糖、地元産のハチミツに漬けた鰻を竿に吊るし、ドラム缶の炉に火を入れて、熱と煙で鰻を七十度~八十度で最低四時間いぶすと美味しい鰻の燻製が出来上がるそうです。味はリンゴの木の薪とハチミツの香りがわずかに残り、独特の風味がするそう。甘いところなんかは日本の鰻の蒲焼と通じるかもしれませんね。(参考・ナショナルジオグラフィック日本版2010年9月号)

●ドラムとウナギ (うなぎ蒲焼 美國屋 第30号/2013年8月掲載)

演奏がウナギそっくりなドラマー、それがジガブーです。ジガブーことジョー・モデリストは、ニューオリンズのリズム&ブルースバンド、ザ・ミーターズのドラマーです。ミーターズは1960年代の終わり頃から、風変りなファンクを演奏し始めました。その独特の後ろノリのグルーヴから繰り出されるファンクは、ネバネバです。特にジガブーの叩き出すビートは、つかもうとするとスルスルと逃げてしまうような、ウナギ感丸出しで、枠に収まらない自由なものです。クネクネしなやかに躍動するリズムに乗って、字余りなフレーズがズルズルはみ出してゆく快感は一度味わうとやみつきになります。以前ご紹介した「演奏がウナギそっくりのジャズギタリスト」ことジョン・スコフィールド同様、ウナギ好きならぜひ押さえておきたいドラマーです。

●夏の土用丑の日 七月二十二日(月) (うなぎ蒲焼 美國屋 第29号/2013年6月掲載)

平成25年7/22(月)は夏の土用・丑の日です。土用の丑といえば、うなぎです!もともと土用の丑の日は「薬食い」といって栄養のある物を食べる習慣がありました。「土用」とは五行説に基づいて季節を分類したもので、春夏秋冬それぞれの季節の終りの十八日間=立春、立夏、立秋、立冬の前の十八日間をさします。つまり、「土用の丑の日」とは土用の間で日の十二支が丑の日のことです。土用は季節の変わり目にあたり、体調を崩しがち。それで「うし」の日には頭に「う」の付く食べ物を食べて栄養をつけよう!といった風習が広まったようです。昔の人の知恵とユーモア、粋です。また土用の間に丑の日が二回来る場合があり、二回目を「二の丑」と言います。今年の二の丑は8/3(土)。

●「うし」の日は「う」の付く食べ物を! (うなぎ蒲焼 美國屋 第29号/2013年6月掲載)

丑の日にうなぎを食べるようになった理由には諸説ありますが、一番有名なのは、夏場客の来ない鰻屋に平賀源内が「本日丑の日」と書いて店先に貼りなさい、と助言したところ大繁盛した、というものです。もともと丑の日に「う」のつく食べ物を食べると夏負けしないという言い伝えがあり、うなぎ以外にも梅干しや瓜を食べる習慣があったそうですが、源内説がホントかウソかは別として、全国の鰻屋さんにしてみれば、またとないビジネスチャンスです(笑)。江戸の商人がこのチャンスをみすみす逃すわけがない!とはいえ、夏場の鰻は体にとてもいいんです。夏場は汗をかくので血液中の血中濃度があがり、血栓ができやすくなります。冬より夏の方が脳梗塞が多いのはそのためです。鰻に含まれるDHAやEPAは血管を丈夫にし血液をサラサラにする効果があり、中性脂肪値を下げます。実際に医療用として認可されているほどです。夏は水分補給と同時に、うなぎ補給(略してウナホ、あるいはウナホキュ)がお勧めです!

●ニホンウナギが絶滅危惧種に (うなぎ蒲焼 美國屋 第28号/2013年2月掲載)

環境省は2013年2月1日、ニホンウナギを絶滅危惧1B類に指定しました。絶滅危惧種は3分類されますが、これは2番目に絶滅の危険性が高く、イトウやムツゴロウと同ランクになったことを意味します。このリストに法的拘束力はありませんが、リスト指定されたことで保護の機運も高まるとみられ、ゆくゆくは漁獲量規制など流通への影響が出ることを危惧する声もあります。環境省によると、「減少の主な原因は乱獲に加え、河川の堰やダムの建造で遡上が妨げられ、生育できなくなったことが挙げられる。また、太平洋赤道域の海面水温が平年より高くなるエルニーニョ現象が起きると、産卵場が本来のマリアナ諸島沖から南下しシラスウナギが海流に乗って北上できなくなることも影響している」としています。

●ウナギ対策費に1億8300万円 (うなぎ蒲焼 美國屋 第28号/2013年2月掲載)

農水省では2013年1月29日、平成25年度予算を閣議決定しました。そのなかで「ウナギ対策関連事業」として1億8300万円を計上、これは前年の4100万円の実に4倍超にあたります。事業内容としては野生ウナギの生息状況などの調査や研究を支援し、「ウナギ資源の回復と安定供給を図ること」を目的としています。更に、「水産業再生プロジェクト」として、4億4200万円を計上。これは天然稚魚に依存しているウナギやクロマグロ、ブリなどについて親魚の成熟産卵を制御して、人工稚魚を安定的に供給する技術、稚魚の生残率を向上させるなどの大量飼育技術を開発することが目的です。ウナギの完全養殖は既に実現していますが、大量飼育にはまだ至っておらず、一刻も早い技術開発が望まれています。*これまで人工飼育では、孵化したばかりのウナギの稚魚のエサには、アブラツノザメ(こちらも絶滅が危惧されています)の卵やオキアミなどをペースト状にしたものを使用していましたが、最新の研究で実際の自然環境下では「マリンスノー」と呼ばれるプランクトンの死骸をエサにしていることが、東京大学の塚本勝巳教授と海洋研究開発機構の大河内直彦プログラムディレクターらの研究チームにより明らかにされました(2012年11/7日付英生物学誌バイオロジーレターズ電子版に発表)。より自然環境に近いエサを食べさせれば養殖の効率向上が期待でき、大量飼育への大きな一歩となります。

●うなぎ温泉 (うなぎ蒲焼 美國屋 第27号/2012年11月掲載)

うなぎ温泉という温泉があるそうです。うなぎと一緒に温泉に浸かるだなんて、とってもヌルヌルしそうですが、よくよく調べてみると、うなぎと一緒に温泉に浸かるわけではなさそうです。鹿児島県指宿市の中心部から車で約十五分の鰻池湖畔に、うなぎ温泉はあります。鰻池と鷲尾の森に囲まれた閑静な味わいのある温泉で、指宿地区唯一の単純硫黄温泉だそうです。あちこちで噴気が舞い上がる温泉情緒あふれるレトロな湯治場が人気を呼んでいるそうです。江戸時代後期の地誌『三国名勝図会』にも記載されており、皮膚病に効能があるとされていました。1874年(明治7年)には西郷隆盛が約一ヶ月間滞在し、記念に残された襦袢が今も保管されています。ぜひ行ってみたい温泉です。

●うなぎ音頭 (うなぎ蒲焼 美國屋 第27号/2012年11月掲載)

うなぎ音頭という音頭があるそうです。うなぎと一緒に音頭を踊るだなんて、とってもクネクネしそうですが、よくよく調べてみると、うなぎと一緒に音頭を踊るわけではなさそうです。うなぎの町・岡谷の会(長野県岡谷市)では、うなぎ音頭を踊って町おこしを図っています。うなぎ音頭は2003年、同会キャラクター「すわ湖太郎」と共に公募して作られました。市内のお祭りでは、うなぎ音頭で「すわ湖太郎」の着ぐるみと市民がフラダンスを踊ったり、「ダンス調のうなぎ音頭」を踊ったりするそうです。すわ湖太郎には「う~なちゃん」というガールフレンドもいて、「う~な」の「~」という部分が鰻を表わしているそう。特技は太鼓、好物はイチゴパフェという「う~なちゃん」。いつか会ってみたいキャラクターです。

●土門拳の愛した美國屋 (うなぎ蒲焼 美國屋 第26号/2012年5月掲載)

『日本橋高島屋の横にある美国屋のうなぎは、おそらく日本一でしょう。店こそ終戦直後からのバラック作りですが、うなぎの味は天下一品、口に入れた時のとろけるような感じがよい証拠。値段は一人前三百円ですが、高級な店で七百円はとられる品です。ひとにおごるならこの店にかぎります』(文・土門拳 週刊平凡 昭和三十四年)。土門さんには大変お世話になりました。愛ある文章で美国屋をたくさん紹介して下さいました。最後の一文をもう一度ご覧下さい。「ひとにおごるならこの店にかぎります」。皆さんも、学校や職場のお友達の耳元で、そっとこの言葉を囁いてみましょう(笑)。ちなみに、昭和三十四年の大卒初任給は、約一万三千五百円。

●月一うなぎのススメ (うなぎ蒲焼 美國屋 第26号/2012年5月掲載)

作家の宇野千代さんは、九十八歳で亡くなるまで、毎月一度は好物のうなぎを召し上がっていたそうです。長寿の秘訣は間違いなくこの「月一うなぎ」だと言えるでしょう(笑)。他にうなぎ好きで有名な作家には、斎藤茂吉がいます。四十四歳~六十八歳までの二十四年間に千匹以上(一年で四十匹以上)の鰻を食べたという記録が残っています。こちらは「月一うなぎ」ならぬ「週一うなぎ」でしょうか。ちなみに、茂吉は七十歳で亡くなっています。これはどうしたものか、案外短いです。最近では、ミュージシャンの山下達郎さんもうなぎ好きで有名です。「いくら具合が悪くても鰻なら食べられる」という名言がある程。なるほど、あのグルーヴィなギターカッティングの上に乗る、ヌメッとした歌い口はうなぎ好きにしか出せません。

●鰻街道のはなし (うなぎ蒲焼 美國屋 第25号/2012年2月掲載)

江戸中期の1756年、出雲国(島根県)の中海では鰻の豊漁に沸きました。大漁に捕れる鰻を高値で売買できる大阪へ運んで販売しようと、出雲・安来の佐重は松江藩の許可を得て鰻の輸送に乗り出しました。出雲から大阪に至る危険な街道を安全、迅速に通行できるよう、当時強大な権力を持っていた京都の聖護院宮家から、御用商人として特別な許可をもらい、菊花の紋章と聖護院宮の文字が入った紺染めの小旗と箱提灯を掲げて鰻を輸送しました。輸送の方法ですが、島根県・安来湊で一人当たり総重量20キロを超える鰻を籠に詰め、これを前後に振り分けて天秤棒で担ぎ、陸路、中国山地を進み、四十曲峠を越えて岡山県の勝山へ向かいます。途中、水分補給のため、伯太川沿いに切り開かれた道を辿り、要所要所に作られた鰻池で一夜を過ごしました。勝山へ出ると今度は高瀬舟で旭川を下り、岡山湊で生け簀付きの専用船に鰻を積み替え、播磨灘を通って大阪や京都へ入りました。この鰻輸送団は20~30人で構成され、行きは約7日間かかったといわれています。(旅するウナギ・東海大学出版会より抜粋)

●うなぎ絵馬のはなし (うなぎ蒲焼 美國屋 第25号/2012年2月掲載)

写真の京都・三嶋神社のうなぎ絵馬は有名で、子宝、安産、子孫繁栄のご利益があるそうです。福島県いわき市の沼之内弁財天にもうなぎ絵馬があり、境内の賢沼は古くから禁漁池とされ、天然記念物に指定されたうなぎが生息しています。また埼玉県・三郷市の延命院や三重県・鳥羽の庫蔵寺には古いうなぎ絵馬が残っていて、三郷の延命院にはうなぎの絵の代わりに実際の鰻鎌(ウナギ漁に使う道具)を板に張り付けて奉納した絵馬があります。延命院近くを流れる古利根川(中川)では昔から多くのうなぎが捕れていた一方、増水時には大きな災害を受け、虚空蔵菩薩の使者あるいは化身とされるうなぎが地域の人々を救ったという言い伝えが残っているそうです。(旅するウナギ・東海大学出版会より抜粋)

●タレとしょうゆたち (うなぎ蒲焼 美國屋 第24号/2011年10月掲載)

お店のテーブルに乗っているタレとしょうゆたち。どれが「タレ」でどれが「しょうゆ」か分かりづらいので、今回は思い切って写真入りで紹介してみたいと思います(笑)。まず、右からタレです。「タレがもう少し欲しい!」という時に、かけて下さい。かけすぎると、しょっぱくなります。次に、しょうゆです。お新香にかけて下さい。余談ですがこの小さなしょうゆさし、かわいいと評判です(笑)。次に、ようじです。英語だと、tooth pick(トゥース・ピック)。ちょっとオシャレな感じがします。最後は、さんしょうです。実はさんしょう、胃もたれに効果的。中国では漢方薬として使われているそうですが、かけすぎると舌がピリピリして理性を失いかけます(笑)。やはり、ほどほどがいいと思います。

●「真ん中」のお重のフタ (うなぎ蒲焼 美國屋 第24号/2011年10月掲載)

美國屋のお重は三種類です。2200円。2700円。3400円。値段の違いはウナギの大きさの違い。ウナギが大きくなるにつれ、あぶらの乗り方や身の厚みが増していきます。大串(大きい蒲焼)が売り切れると、大きさではなく蒲焼の量の違いになります。ちなみに、2200円のお重は「小さいの」とか「一番かわいいの」、2700円のお重は「真ん中の」とか「中(なか)」、3400円は二段重(蒲焼とご飯が別々のお重)なので、そのまま「二段」と言って注文される方が多いですね。さて、「真ん中」のお重のフタには江戸時代の日本橋が書いてあります。安藤広重の代表作「東海道五十三次之内 日本橋 朝之景」を元にしたものです。橋の上を渡ってくるのは大名行列。日本橋のあわただしい朝の様子が描かれています。当時、日本橋と江戸橋の間には魚河岸があり、魚屋さんや商人たちが行きかい、大変賑わったそうです。

●東大で鰻博覧会開催中! (うなぎ蒲焼 美國屋 第23号/2011年8月掲載)

東京大学総合研究博物館1階展示室で鰻博覧会が開催されています。東京大学の研究船「白鳳丸」によるウナギ産卵場研究は、1973年に始まり、その後現在まで、約40年間に亘ってウナギの回遊と繁殖生態に関する調査研究が続けられています。そのゆるぎない信念とウナギへの熱い想い、そして数々の研究成果から、愛すべき鰻の魅力が溢れだし、涙が止まりません。特に今回の目玉は、白鳳丸が採取した天然ウナギの卵。一般公開されるのは、もちろん世界初。ウナギマニアは今すぐ走りましょう!東大赤門をくぐったらすぐ右です!最寄駅は地下鉄丸ノ内線・大江戸線「本郷三丁目駅」。期間は、2011年7月16日(土)~10月16日(日)。月曜休館。開館時間は、10時~17時。入館料無料。詳しくは下記のホームページまで! http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2011UNAGI.html

●天然ウナギの卵 150個採取!(うなぎ蒲焼 美國屋 第23号/2011年8月掲載)

天然ウナギの卵を大量にマリアナ諸島沖で採取することに、東京大や九州大などのチームが成功しました。ウナギの天然卵の採取は、世界初となった2009年5月に続き2回目で、09年に初採取した卵31個だったのに比べ、今回(11年6月29日)、一度に150個もの卵が得られたことで、遺伝情報の解析をより詳しく進められるそうです。研究チームは卵が前回とれたときの条件をもとに、塩分の高い水塊と低い水塊とが接する「塩分フロント」のそばで産卵が行われると推定。塩分フロントが西マリアナ海嶺と交わる北緯13度、東経142度の海域に狙いを定めました。その結果、予測が的中。ウナギは新月の2~4日前に、一晩だけでなく連日産卵するとみられるそうです。激減する天然ウナギ。産卵生態の解明は、飼育下で卵から育てる「完全養殖」の実用化に役立つと期待されています。(asahi.comより抜粋)

●こんにちは、天然ウナギの卵 (うなぎ蒲焼 美國屋 第21号/2011年3月掲載)

うなぎ界を揺るがすビッグニュースです。世界で初めて、天然のニホンウナギが海で産んだ卵が日本の研究チームによって発見されました(2011年2月1日付英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズ電子版に掲載)。現場は、ウナギの幼生が捕獲されたことがあるマリアナ諸島沖。発見したのは、東京大大気海洋研究所の塚本勝巳教授や水産総合研究センターなどのチーム。2009年5月、調査船で大型のプランクトンネットを引いたところ、ウナギとみられる複数の卵が入りました。DNA鑑定で31個がニホンウナギの卵と確認されました。いずれも受精卵で、直径は平均1.6ミリ。卵の採集は「すごろくで言えば上がり」(塚本さん)。しかし、研究は終わりません。オスとメスがどのように出合うのか。なぜ新月間近に産卵するのか、等々。新たな疑問が山積しています。「次は産卵シーンを撮影したい」。塚本さんは仲間とともに5月、再び研究航海に乗り出します。

●さようなら、八代目うな太郎 (うなぎ蒲焼 美國屋 第21号/2011年3月掲載)

長崎市の最南端に位置する樺島の井戸に住むオオウナギの「うな太郎」が2011年2月24日、天に召されました(享年推定30歳)。1923年、樺島の井戸はオオウナギ生息地の北限ということで国の天然記念物に指定されました。うな太郎はそれから数えて八代目。体長1.81メートル、重さ16.6キロの堂々たる体格。祖父の代からオオウナギの世話をしている幕(まく)亀太郎さん(86)は「20年余り自分の子のように愛情を持って育ててきた。あと4、5年は生きてほしかった」と残念そう。妻静代さん(80)も「夫は、夜中に目が覚めてもウナギを見に行っていた。夫あってのウナギ、ウナギあっての夫だったのに……」と声を落としました。うな太郎は約2年前から元気がなくなり、昨年5月、好物のアジの切り身1切れを食べたきり、何も食べず、同年10月に行った恒例の身体測定では前年より2キロも痩せていたそうです。さようなら、うな太郎。

●ウサギとウナギ (うなぎ蒲焼 美國屋 第20号/2011年1月掲載)

びっくりしました。ウナギの「ナ」に線を一本引くとウナギがウサギになるんです。それはさておき、今年の干支に因んで「ウサギとウナギ」をお題に何か書いてみようと思い、調べました所、「ウサギとウナギの違い」について簡潔に説明されている方がおられました。曰く「耳が長いのがウサギ。身が長いのがウナギ」。なるほど。私自身、ウサギもウナギも飼ったことがあるので、それぞれに尋常ならざる愛情を抱いておるのですが、先日ある観賞魚ショップのサイトを見ていたら「天然ウナギ小・980円」と表記され、販売されていたのです。大きさ20センチほど。食するにはまだまだ早熟ですが、このような小さいウナギを業界では「メソッ子」などと呼び、串に絡げて焼いて食べちゃいます。え?食用じゃないって?そういえば、私もこのメソッ子を分けてもらい大事に育てていました。そんなウナギ飼育のポイントはズバリ、土管です。これから育てようと思っている方はぜひ、水槽に土管を入れてあげて下さい。土管はウナギの大好物です(笑)。

●世界の珍ウサギ (うなぎ蒲焼 美國屋 第20号/2011年1月掲載)

前回は「世界の珍ウナギ」を紹介しましたので、今回は「世界の珍ウサギ」を紹介してみたいと思います。私事で恐縮ながら私は以前、ウサギを飼っていました。俗に「ミニウサギ」と呼ばれる雑種で珍しくはありません。名前はUSA(ユー・エス・エー)。珍ウサギというより、珍名です。もっとよい名前を付けてあげれば良かった。長い耳を両手で挟んで毛づくろいする姿が、シャンプー後の髪にリンスを馴染ませているようで愛らしかったんです。それはさておき、ウサギってどれくらい大きくなるのだろうと思い、調べました所、体長129・54センチ、体重22・22キロのウサギのダライアスさんが現時点で最大だそうです。生後13か月での記録がこれなのでまだまだ大きくなりそうですね。他に珍しい所では、うさぎ神社なるものも。浦和の調神社(つきじんじゃ)です。社名から「ツキ」に恵まれる神社として信仰され、「ツキ」を「月」にかけて、狛犬ならぬコマウサギがいる神社として有名だそうです。

●新種ウナギ発見! (うなぎ蒲焼 美國屋 第19号/2010年10月掲載)

今、ウナギ界で一番ホットなニュースです。パラオ在住の魚類研究者の坂上治郎さんが昨年3月に北太平洋のパラオ洞窟で、成魚の長さが二十センチほどでゆっくり泳ぐ見慣れない魚を発見。他の様々な魚のDNA配列との比較から、この魚は他のウナギとは約2億年前に分かれた仲間である可能性が高いことが分かったそうです。調査した北里大学や千葉県立中央博物館などは9月24日、「ムカシウナギ科(仮称)」という新しい「科」を提唱し、津市で開かれる日本魚類学会で発表、新しい科が認められれば四十年ぶりの新科になるそう。私も新聞でお姿を拝見しましたが、姿形はウナギそのものなんですが、サツマイモみたいな紫がかった茶色の体に、パステルブルーに縁取られたヒレという何ともトロピカルな出で立ち。そういえば数ヶ月前、同じ新聞の同じ欄に体の模様が錦鯉みたいな錦鯉ウナギが紹介されていました。今年はウナギの稚魚は不漁ですが、珍ウナギの方は大漁みたいです(笑)。

●世界の珍ウナギ (うなぎ蒲焼 美國屋 第19号/2010年10月掲載)

現在、ウナギ属魚類は、昨年七十年ぶりに発見された一種を加え、十六種・三亜種の合計十九種に分類されています。日本で一般的に食されているのは、日本ウナギ(アンギラ・ジャポニカ)です。生息地域は日本の本州から北ベトナムの東アジアで、これ以外にも日本にはオオウナギ(アンギラ・マルモラータ)が生息しています。このウナギは体長二メートル以上、気になる味の方は「脂が多く泥臭い」ということで食されることは少ないのですが、鹿児島の池田湖では天然記念物として崇められています(笑)。天然と言えば以前、オーストラリアの天然ウナギ(アンギラ・オーストラリス)を食べたことがあるのですが、舌の奥の両側に「キュッ」と広がるウナギ独特の味わいが印象的で、若干脂っこく大味ですが美味しかったのを思い出しました。また、中国では「田ウナギ」と呼ばれるウナギをぶつ切りにして炒めたり煮込んだりする料理がありますが、実は田ウナギはウナギとは全く違う別種です。因みに電気ウナギも別種で、歳をとると停電するそうです(笑)。

●落語とウナギ (うなぎ蒲焼 美國屋 第18号/2010年9月掲載)

ウナギを題材にした落語の一つに「うなぎの幇間(たいこ)」があります。幇間というのは宴会などの席で芸をし芸者衆と共に場を盛り上げる男性の職業のことです。真夏の真昼間、野幇間の一八(いっぱち)は陽炎揺らめく炎天下、なかなか客を掴めず憔悴していました。お金のありそうな旦那はみな避暑地や湯治場へ行ってしまったのです。そこへ、どこかで見たような浴衣姿の男が向こうからやってきます。腹ぺこの一八はこの「どこかで見たような男」を取り巻いて何とか昼飯にありつこうとします。首尾よく近くの鰻屋で御馳走してもらうことになり、一八は喜び勇んで自慢の下駄を脱ぎ、二階へ上がりました。お新香で一杯始めると間もなく鰻が出てきました。すると浴衣の男がはばかり(手洗い)に行くというので、一八がお供しようとすると、鬱陶しいからいいと言う。仕方なく部屋で待っていると、いつまでたっても帰ってこない・・・。良い所で紙面が尽き、誠に恐縮です(笑)。

●ジャズとウナギ (うなぎ蒲焼 美國屋 第18号/2010年9月掲載)

演奏がウナギそっくりなジャズ・ギタリスト。それが、ジョン・スコフィールドです。彼は1983年にマイルス・デイヴィス・グループに参加し、その人気を不動のものにしました。ウネウネとうねる独特のフレージング、ネバネバしたリズムはウナギ丸出しです。楽曲の調性(キー)から音がヌルヌルと外れまくる危険なフレージングは、アウト系とか変態系と呼ばれ、広く愛されています。こんなにも愛される変態は珍しいです(笑)。

●江戸買物独案内 (うなぎ蒲焼 美國屋 第17号/2010年7月掲載)

江戸の文政7年(1824)に出版された当時の江戸ガイドブック「江戸買物独案内」。この本に「丑の日にうなぎを食べる習慣を広めたのは春木屋である」と紹介されている話を前号で書きました。池波正太郎さんの座右の書としても知られるこの本、色んなお店が紹介されていてなかなか面白いです。羽根問屋だとか(矢や弓に使う羽根のようです)、合羽装束問屋(火事頭巾だそうです)、挑灯問屋(ちょうちんだそうです)など聞いたことのないものばかり。他にも、鼻緒問屋が十件以上あったり(鼻緒ってそんなに需要あるのかな?と思うのですが)、入歯師とか時計師というのもあります。ちなみに入歯はもともと仏像を彫っていた仏師が片手間に作っていたそうです。全くタメにならないうんちくで恐縮です(笑)。

●鬼平犯科帳とウナギ (うなぎ蒲焼 美國屋 第17号/2010年7月掲載)

池波正太郎さんの代表作のひとつ鬼平犯科帳にもウナギが登場していて、鰻蒲焼の調理法やその推移についても興味深く描かれています。元々は屋台で辻売りしていた鰻屋が立派な店を出すようになった経緯など勉強になります(笑)。『近年になって、背びらきにした鰻を蒸しあげ、強い(きつい)脂をぬいた上で、やわらかく焼きあげ、たれにも工夫が凝らされるようになってから「鰻が、こんなにうまいものだとは知らなかった・・・」上流の人びとも、よろこんで口にするようになってきているが、深川や本所へ来ると、鰻の辻売りも少なくない。「鰻は、辻売りにかぎる」という人びとが、このあたりには、まだ多いからであった。(抜粋)』。こんな風に書かれると無性に食べてみたくなります、辻売りの鰻!

●夏の土用丑の日 7月26日(月) (うなぎ蒲焼 美國屋 第15,16号/2010年5,6月掲載)

平成22年7月26日(月)は夏の土用・丑の日です。土用の丑といえば夏に食べるうなぎが有名ですが、もともと土用の丑の日は「薬食い」といって栄養のあるものを食べる習慣がありました。「土用」とは五行説に基づいて季節を分類したもので、春夏秋冬それぞれの季節の終りの18日間をさします。つまり、「土用の丑の日」とは土用の間で日の十二支が丑の日のことです。また土用の間に丑の日が2回来る場合があり、2回目を「二の丑」と言います。ちなみに、昨年(平成21年)の夏の土用の丑の日は7月19日と7月31日で、7月に2回あるのはなんと213年ぶりだったそう(笑)。それはさておき、うなぎを食べて暑い夏を乗り越えましょう!

●イモがウナギに (うなぎ蒲焼 美國屋 第15,16号/2010年5,6月掲載)

江戸時代の百科事典「和漢三才図会」には「久しく湿潤した薯蕷(やまのいも)が変じ鰻に化する場合がある」と書かれているそうです。ウナギは謎が多く、どこから産まれてくるのかも分からないので、昔の人はそんな風に空想を膨らませたのかも知れません。それはさておき、先日、ウナギの産卵から幼生の飼育をふくむ完全養殖に水産総合研究センターが成功した、とのニュースが報じられました。今まで、養殖は天然の稚魚から育てることしかできませんでしたので、これは「イモがウナギに変身する」のと同じくらいの大ニュースです。あるいはこの養殖技術をもってすれば「イモからウナギを作り出す」ことも可能かも知れません(笑)。でも、美味しいかな?

●春の土用丑の日 (うなぎ蒲焼 美國屋 第14号/2010年4月掲載)

平成22年4月21日(水)と5月3日(月)は春の土用・丑の日です。土用の丑といえば夏に食べるうなぎが有名ですが、もともと土用の丑の日は「薬食い」といって栄養のあるものを食べる習慣がありました。「土用」とは五行説に基づいて季節を分類したもので、春夏秋冬それぞれの季節の終りの18日間をさします。つまり、「土用の丑の日」とは土用の間で日の十二支が丑の日のことです。また土用の間に丑の日が2回来る場合があり、2回目を「二の丑」と言います。ちなみに、昨年(平成21年)の夏の土用の丑の日は7月19日と7月31日で、7月に2回あるのはなんと213年ぶりだったそう(笑)。それはさておき、うなぎを食べて新しい季節を景気良く迎えましょう!

●鯉のぼり VS 鰻のぼり (うなぎ蒲焼 美國屋 第14号/2010年4月掲載)

鯉のぼりもうな重も始まりは江戸時代。鯉のぼりはもともとは端午の節句に男児の立身出世を願い玄関にのぼりを飾っていたのが、それだけではつまらないということで、鯉の形を模した吹き流しになったのが由来だそうです。中国に「黄河の急流にある竜門という滝を唯一登りきり竜になることができた魚が鯉だった」という故事があり、鯉の滝登りは立身出世の象徴でした。それはさておき、うなぎは竜門を登れなかったのでしょうか。私は悔しいです。鰻の方が竜に似ているのに。しかも、うなぎは急流はもちろん、時には岩壁だって登ることができるのです。このことから「うなぎのぼり」という言葉が生まれ、事態が急上昇する様を表わす比喩として幅広く愛される事になりました(笑)。

●ウナギの祖先は深海魚? (うなぎ蒲焼 美國屋 第13号/2010年1月掲載)

うなぎに関する今一番ホットな話題です。東京大海洋研究所と千葉県立中央博物館のグループがウナギ科を含む近縁の19科56種の遺伝子を解析。「ウナギ科の魚はアナゴ科などとは関係がやや遠く、熱帯付近の中深層にすむシギウナギ科、ノコバウナギ科、フクロウナギ科などと近いと分かった。このため、ウナギの祖先はシギウナギなどと同じような深海にいたが、熱帯から温帯にかけては、海より淡水域の方が栄養豊富なため、えさを求めて成長の場を淡水域に移すように進化したと推定できた(asahi.comより抜粋)」。ちなみにシギウナギさん、ノコバウナギさん、フクロウナギさん、お三方の写真がasahi.comに出ているのですが、姿が奇抜すぎてウナギに見えないのです(笑)

●ウナギイヌの祖先は? (うなぎ蒲焼 美國屋 第13号/2010年1月掲載)

ウナギイヌは赤塚不二夫の漫画「天才バカボン」に登場するキャラクターで、犬の父とウナギの母の間に生まれた合いの子です。現在は故郷の浜名湖に面している浜松市のマスコットキャラクターを務めています。原作漫画ではバカボンのパパがウナギイヌの家に招待され、両親を紹介されるエピソードがあります。ウナギイヌの誕生の経緯について、父イヌが「自分はイヌのくせに『泥棒ねこ』だった」と語り、盗みに入った魚屋で母ウナギを見初め、そのまま駆け落ちしてウナギイヌが生まれた、としています。読売巨人軍の阿部慎之助は、顔があまりにも似ているという理由で、アンチ巨人ファンから「ウナギイヌ」と名付けられ、このあだ名は巨ファンも認めるほどだそうです(ウィキペディアより抜粋)。

●寒の土用丑の日 (うなぎ蒲焼 美國屋 第12,13号/2009年11月,2010年1月掲載)

平成22年1月27日(水)は冬の土用・丑の日です。土用の丑といえば夏に食べるうなぎが有名ですが、もともと土用の丑の日は「薬食い」といって栄養のあるものを食べる習慣がありました。「土用」とは五行説に基づいて季節を分類したもので、春夏秋冬それぞれの季節の終りの18日間をさします。つまり、「土用の丑の日」とは土用の間で日の十二支が丑の日のことです。また土用の間に丑の日が2回来る場合があり、2回目を「二の丑」と言います。ちなみに、今年(平成21年)の夏の土用の丑の日は7月19日と7月31日で、7月に2回あるのはなんと213年ぶりだったそうです(笑)。それはさておき、秋から冬にかけてうなぎが美味しくなる季節。この機会にぜひ!

●秋~冬の鰻 (うなぎ蒲焼 美國屋 第12号/2009年11月掲載)

秋~冬の鰻は身が肥えていて美味しい、という話があります。秋から初冬にかけて天然ウナギは産卵のため餌を摂りながら川を下って海に入ります。産卵場は太平洋マリアナ諸島沖。そこまで数千キロの距離を何も食べず泳いでいくため、たっぷり栄養をとって太っているのです。産卵に向かうこの下りウナギは「クダリ」「オチ」などと呼ばれています。捕獲量はとても少なく貴重で地域によっては全く獲れなくなってしまった所も。ダム建設や岸辺のコンクリート化による影響が大きいようです。また、養殖ウナギに関しては季節の影響を大きく受けないので、特に旬はないと言われていますが、「養殖物でも秋から冬にかけての鰻は美味しい」と言うお客様が多いのも事実。これを機にぜひお試し下さい(笑)

●秋のウナギ釣り (うなぎ蒲焼 美國屋 第12号/2009年11月掲載)

秋雨前線の影響で雨が多く、水の濁りやすい秋はウナギ釣りに適した季節です。台風が通過した翌日などはベストです。よく釣れる場所は、川と海が交わる河口付近の汽水域。川に竹が刺してあったり、ウキの浮いている場所は鰻筒が仕掛けてあることが多く、この付近はウナギがいる可能性が高いです。釣る時間帯は日が暮れてから。通常、日没三十分後から始めて40分間が勝負。ウナギ釣りの方法は投げ釣りが一般的で、仕掛けは「オモリと針」だけの簡単なもの。大事なのは竿に鈴を付けること。でないと暗くてアタリが分かりません(笑)。エサは、ウナギは主に肉食ですが、口に入るモノは何でも食べるので色々試してみると良いんじゃないでしょうか。ルアーでも釣れるらしいですよ。ここまで書いておいてアレなんですが、実はアタシ、やったことないんです、ウナギ釣り(笑)。

●秋の土用の丑 (うなぎ蒲焼 美國屋 第11号/2009年10月掲載)

平成21年10月23日(金)と11月4日(水)は秋の土用・丑の日です。土用の丑といえば夏に食べるうなぎが有名ですが、もともと土用の丑の日は「薬食い」といって栄養のあるものを食べる習慣がありました。「土用」とは五行説に基づいて季節を分類したもので、春夏秋冬それぞれの季節の終りの18日間をさします。つまり、「土用の丑の日」とは土用の間で日の十二支が丑の日のことです。また土用の間に丑の日が2回来る場合があり、2回目を「二の丑」と言います。ちなみに、今年の夏の土用の丑の日は7月19日と7月31日で、7月に2回あるのはなんと213年ぶりだったそうです(笑)。それはさておき、秋から冬にかけてうなぎが美味しくなる季節。この機会にぜひ!

●秋のウナギ (うなぎ蒲焼 美國屋 第11号/2009年10月掲載)

秋のウナギは身が肥えていて美味しい、という話があります。秋から初冬にかけて天然ウナギは産卵のため餌を摂りながら川を下って海に入ります。産卵場は太平洋マリアナ諸島沖。そこまで数千キロの距離を何も食べず泳いでいくため、たっぷり栄養をとって太っているのです。産卵に向かうこの下りウナギは「クダリ」「オチ」などと呼ばれています。捕獲量はとても少なく貴重で地域によっては全く獲れなくなってしまった所も。ダム建設や岸辺のコンクリート化による影響が大きいようです。また、養殖ウナギに関しては季節の影響を大きく受けないので、特に旬はないと言われていますが、「養殖物でも秋から冬にかけての鰻は美味しい」と言うお客様が多いのも事実。これを機にぜひお試し下さい(笑)

●インフルエンザ予防に (うなぎ蒲焼 美國屋 第10号/2009年4月掲載)

うなぎにはコレステロールを抑制し血液をサラサラにして動脈硬化を防いだり、免疫力をアップさせ病原菌などのウィルスに対する抵抗力を高めてくれるパワーがあります。また、美容に良いとされる「ビタミンA」も豊富(蒲焼一人前で一日に必要な分がまかなえます)。他にも更年期障害を軽減したり、心筋梗塞、脳卒中、ガンなど生活習慣病を誘発するとされる活性酸素を除去する効果のある「ビタミンE」、脳の働きを活発にすると注目されているDHA(ドコサヘキサエン酸)やレシチン、血管を丈夫にするEPA(エイコサペンタエン酸)も多く含まれています。人間は体内でこのDHAやEPAを作ることができないので、魚を食べるしか方法はありません。ぜひ、うなぎを食べて健康に!

●日本橋発祥のうなぎ料理 (うなぎ蒲焼 美國屋 第10号/2009年4月掲載)

「うなぎ料理」と言えば、うな丼・うな重。このうな丼の考案者と言われているのが、大久保今助。江戸の文化年間(1804~1817)、堺町(当時は芝居小屋で賑わう地区。現在の日本橋人形町)で興行者に金貸しをしていた今助(ウナギ大好き)が、日本橋葺屋町の鰻屋「大野屋」に毎日、出前をさせていました。当時の出前は、蒲焼が冷めないように暖めた糠(ぬか)で保温して配達していたのですが、食べる際に糠を取るのが面倒だったようです。今助は「どんぶりに熱い飯を盛って飯の間に蒲焼を挟んで持ってきてくれ」と注文。「タレがご飯に染み込んでうまい!」とこれが芝居小屋で大当たり。大野屋は「元祖鰻めし」という看板で売り出し始め、それが最初だと言われています。(参考/日本の鰻2007 データ&ダイアリー)

●江戸前うなぎは江戸前の元祖? (うなぎ蒲焼 美國屋 第9号/2009年1月掲載)

「江戸前」という言葉が最初に使われたのは鰻である、という説があります。これには諸説あるようです。江戸城前でとれた鰻を「江戸城前」と呼んだのが始まり、とする説。江戸湾でとれた物を「江戸前」と呼んでいた、という説。料理職人などの仕事において、上方流(大阪流)に対する、江戸流の流儀を「江戸前」と呼んでいた、という説。どれも定かではないそうですが、今では鰻にとっての「江戸前」は調理方法をさす言葉として使われることがほとんどです。

●江戸で評判のうなぎ (うなぎ蒲焼 美國屋 第9号/2009年1月掲載)

江戸でうまいと評判だったのは、深川、神田川、蔵前でとれる鰻だったそうです。特に蔵前でとれる鰻は、米蔵からこぼれる米粒を食べていたので肉付きがよく、いい感じに肥えていたそうです。ちなみにこの「江戸前うなぎ」、そもそも「江戸前」とはどの辺りをさすのかと言うと「大川の東、お城の西」、今の築地から鉄砲洲にかけての辺りだったそうです。築地は当時、隅田川の下流(大川)に接していて、よく鰻がとれたそうです。江戸では不漁で江戸前鰻がとれないと、店を開けない鰻屋もあったそうです。(参考/日本の鰻2007 データ&ダイアリー)

●うなぎ&お新香 (うなぎ蒲焼 美國屋 第8号/2008年12月掲載)

「うなぎにお新香」という組み合わせは定番です。江戸では「鰻屋でせかすのは野暮」と言われたほど、注文してから蒲焼が出てくるまで時間のかかる料理として認識されていました。注文があってから鰻を一匹づつ割いて焼くので時間がかかる、というわけです。その時間のかけ方がまた贅沢で粋とされていたんですね。そして「蒲焼が出てくるまではお新香で酒を飲む」のが、江戸っ子流だったそうです。由来はどうあれ、蒲焼は甘いので食べていると塩気が欲しくなる。そんな時、お新香はピッタリだと思います。しょっぱさと酸味がいいアクセントになっていて、さっぱりするし。鰻好きにお新香好きが多いのも分かる気がします(笑)。美国屋でもお新香を別に注文されるお客様も多いです(上新香は300円)。また、蒲焼と言えば奈良漬け(美国屋では二段重と上新香に付けております)。奈良漬けには口直しとしての役割のほか、「鰻の脂分を抑える効果」や「胸やけや胃もたれを防ぐ効果」「鰻の豊富な栄養分を効率よく吸収する働き」があり、鰻にはピッタリの名脇役。ちなみに「鰻に奈良漬け」という組み合わせ、明治時代に入ってからなんだそうです。

●うなぎ一皿 200文! (うなぎ蒲焼 美國屋 第8号/2008年12月掲載)

江戸の風俗などを説明した江戸後期の百科事典「守貞謾稿(もりさだまんこう)」によると、江戸時代後期、うなぎ大串一皿=200文したそうです。現代の値段に換算(1文=約20円)すると、約4000円。当時から鰻は高級だったようです。ちなみに、かけそば=16文(320円)、天ぷらそば=32文(640円)、銭湯=8文(約160円)、串団子=4文(約80円)。また、うなぎ好きで有名な歌人・斎藤茂吉の日記によると、明治20年にうな丼1杯=50銭。現代の値段に換算(1銭=約120円)すると、約6000円。他に、かけそば=1銭5厘(180円)、天丼=5銭(600円)、銭湯=1銭3厘(約160円)、面白いのが、ビール1本(大瓶)=17銭(2040円)!ビールも高級な飲み物だったんですね。ちなみに、茂吉。44歳~68歳までの24年間に1000匹以上(1年で40匹以上)の鰻を食べた計算になるそう!

●うなぎのオスとメス、美味いのはどっち? (うなぎ蒲焼 美國屋 第7号/2008年11月掲載)

そもそも、うなぎのオスとメスの区別は外見上分かりません。それどころか、うなぎは成魚になるまで雌雄の区別がなく、成魚になる時期の環境によって雌雄が決まるそうです。またなぜか、養殖うなぎの約九割はオスになるそうです。う~ん、不思議です。というわけで、私たちが普段食べている鰻のほとんどはオスなので、比べようがないんですね。ちなみに、うなぎの生態に関してはまだ謎が多く、雨の日に路上を移動する姿を目撃されたり(!)、岩の裂け目を伝いながら崖を登ってゆく姿を目撃されたり(!)、ウソのような本当の話もあるのです。一体なぜこんなことが出来るのかというと、しなやかで強靭な体はもちろん、うなぎはエラの他に皮膚呼吸も出来るので、体と周りが濡れていれば陸上でも活動出来る、というワケです。

●川うなぎ?海うなぎ? (うなぎ蒲焼 美國屋 第7号/2008年11月掲載)

ウナギは川魚として知られていますが、海で産卵・孵化し、再び川に戻る「降河回遊」という生活形態をとります。ただし、川に戻らず海で生活する「海うなぎ」や、沿岸域で生活するウナギもいるので、全てのウナギに当てはまるわけではありません。ウナギは体内の浸透圧調整能力が高く、塩分耐性があるため海でも生活できるわけです。従って「海うなぎ」はアナゴではありません(笑)。ちなみにアナゴは漢字だと「穴子」。当て字で「海鰻」と書くことも(笑)。つまり「うみうなぎ」です。う~ん、紛らわしいッ!ウナギ(ウナギ目・ウナギ科)とアナゴ(ウナギ目・アナゴ科)。大きな違いは、鱗の有無。ウナギの皮下には小さな鱗がありますが、アナゴにはありません。う~ん、紛らわしいッ!

●悲しき海うなぎ (上記補足)

前述の海うなぎ、「なぜ川に戻らず海に?」と思う方もいるでしょう。海で孵化したウナギは黒潮に乗って日本の太平洋沿岸までやって来るのですが、たまに黒潮の潮流と岸辺までの距離が近い時があり、その距離が近すぎるとウナギの体が海水から淡水への変化に対応できず、再び海へと戻ってしまうらしいのです。そんな境遇のウナギが俗に言う「海うなぎ」。決してアナゴではありません(笑)。

●関東は背開き (うなぎ蒲焼 美國屋 第3,4,5号/2008年5,8月掲載)

「関西は腹開き、関東は背開き」。もちろんこれ、ウナギの割き方です。関東の背開きは、武士が権威を誇る江戸で「腹切り」を嫌ったためともいわれますが、実際には「蒸し」を入れる関東では背開きにして串を刺す方が都合が良いのです(なぜでしょう?当ててみて下さい(笑)。ちなみに、串を刺しタレを付けて焼く調理法が関西から江戸に伝わったのは正徳年間(1711~1715)。江戸でも当初は関西と同じ方法で焼いていましたが、関東のウナギは脂肪が多く肉も堅いため、新たに「蒸し」の技術が加わりました。更に濃口醤油とみりんの普及に伴いタレも変化し、江戸前蒲焼が完成したのです。余談ですが、私の友人の関西人は「江戸前蒲焼、柔らかいわあ!」と驚き、クネクネと身悶えました(笑)

●美國屋のうな重 (うなぎ蒲焼 美國屋 第2号/2008年3月掲載)

美國屋のうな重は三種類。国産最高級うなぎを厳選して使用。値段の違いは、うなぎの大きさの違いです。うなぎが大きくなると、脂ものってきます。2000円のうな重は一番さっぱりした味わい。2500円はうなぎの厚みもグッと増し脂も程よくのってきます。3200円は二段重。ご飯とうなぎが別々のお重に分かれており、うなぎも一番大きく脂の乗った身もジューシー。大串(大きいうなぎ)が先に売り切れた場合は大きさではなく量の違いになります。また、メニューには特に出していませんが、蒲焼/白焼のみの注文も承っております。値段はうな重と同じ三種類、2000円・2500円・3200円(ご飯・お吸物・お新香はつきません)

●食べ方あれこれ (うなぎ蒲焼 美國屋 第2号/2008年3月掲載)

テーブルの上に置いてあるタレ(大きい方の容器・小さい方は醤油)を好みでかけて下さい。かけ過ぎに注意。二段重の場合、上段の蒲焼にかかったタレをご飯にかけて食べるのも美味しいです。ちなみに二段重を通常の一段のうな重で食べたい方は注文の時、「乗せで」と言って下さい。山椒をうなぎにかけ、フタをします。しばらく置いてから食べます。香りがよくなるそうで、江戸っ子流らしいです(笑)。ちなみに山椒、胃もたれに効果的。消化吸収を促す胃酸の働きを高めます。何でも中国では漢方薬として使われているそう。山椒だけでなく、唐辛子をかけるお客様もいらっしゃいます。言って下さればお出しします。

●うなぎを食べてメタボ解消!? (うなぎ蒲焼 美國屋 第1号/2007年9月掲載)

うなぎに含まれる不飽和脂肪酸はコレステロールを抑制し血液をサラサラにする効果があります。また、コラーゲンや肌の新陳代謝を促すビタミンAなどのビタミン類も豊富で美容にもバッチリ!動脈硬化や細胞の老化を防ぐ抗酸化作用もあり、若さを保つのにも、これまたバッチリ!更に「頭が良くなる」と話題のDHAまで含まれております。栄養たっぷりのうな重。ビタミン・ミネラル・タンパク質がバランスよく一度に摂れる健康食です。(ビタミンCだけ少なめなので、食後にオレンジなどの果物で補給して頂けたら最高です!また、胃もたれ防止には山椒が効果的。消化吸収を促す胃酸の働きを高めます。)